ブハラ
ブハラはシルクロードのオアシス都市として2000年以上の歴史を誇る街である。
1220年のモンゴル襲来により、街は一旦廃墟となったが、1600年代には再び繁栄を取り戻し、18世紀にはブハラハーン国の都が置かれた。
現在は、世界遺産に指定され、中央アジア屈指の観光地となっている。 |
カラーン・ミナレット
カラーン・ミナレットは高さ46メートル。
本来は信者に祈りを呼びかけたり、見張り塔として使用されていたが、18、19世紀には公開処刑場として、死刑囚が塔の上から袋に詰めて投げ落とされた。
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カラーン・モスク@
カラーン・モスクのすぐ横にあるモスク。ソ連時代は倉庫となっていたが、今は礼拝場となっている。
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カラーン・モスクA
カラーン・ミナレットの頂上から見たカラーン・モスク。右後方にはアルク城の城壁が見える。 |
ミル・アラブ・メドレセ@
カラーン・モスクの向かいにあるのがミル・アラブ・メドレセ(神学校)。 |
ミル・アラブ・メドレセA
この神学校は、ティムール廟を調査のため開封した直後にナチスドイツによるソ連侵攻が勃発したことから、
恐怖の念を抱いたスターリンによって唯一存続を認められた学校である。今も、学生たちが寄宿生活をしながら、コーランを学んでいる。
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ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ
偶像崇拝を禁止するイスラム教にあって、太陽の真中に顔を描いたり、鳳凰を描くのは珍しい。内部は土産物屋になっている。
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ラビハウズ
ハウズとは池のこと。周囲はチャイハナ(喫茶)が並んでいる。 |
タキ
タキとは、通りの交差点を丸屋根で覆ったもので、かつては宝石商や両替商が店を構えていた。今は土産物屋が入っている。 |
スィトライ・マヒ・ホサ宮殿@
1911年、ブハラハーン国最後のハーンの離宮として、ロシアの建築家の下建設された。 |
スィトライ・マヒ・ホサ宮殿A
建物の作りは洋風だが、内部には中国や日本の焼き物も置かれている。 |
イスマイ−ル・サーマーニ廟
9世紀から10世紀の間に建てられた、中央アジア最古のイスラム建築。 |
アルク城@
ブハラの城砦は2000年前から何度も建て替えられ、現在のものは18世紀に建てられたもの。 |
アルク城A
城の前は広場となっており、ここで行事が行われるときは、ハーンが民衆を見下ろすように、写真左上方の玉座に座った。 |
アルク城B
アルク城はロシア革命後の混乱の中、赤軍の総攻撃により破壊し尽くされた。
その後、正面の城壁だけは復元されたが、内部は瓦礫の山のままである。ここにはハーレムがあったが、ハーンの私的な場所だったため、図面も写真も残っておらず、
復元は困難とのこと。遠くに見えるカラーン・ミナレットやモスクの青屋根と、手前の広漠とした景色が不思議な対比をなしている。 |
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シャフリサブス
シャフリサブスは、ティムール帝国を築いたこの国の英雄ティムール生誕の地。彼の治世に、様々な建築物が造られ繁栄したが、
16世紀にブハラのアブドゥールハーンによって街は破壊され、現在はその一部しか残っていない。 |
ティムール像
旧ソ連の時代はティムール像を作ることは許されなかったが、今はかつてのレーニン像に代わって各地に造られている。
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アク・サライ宮殿跡@
かつてはこの宮殿の上部にアーチが掛かっていた。 |
アク・サライ宮殿跡A
宮殿はアブドゥールハーンによって破壊されたままの状態になっている。 |
アク・サライ宮殿の頂上から
アク・サライ宮殿の頂上からは街が一望できる。 |
グンバズィ・サイ−ダン廟@
ティムール帝国皇帝ウルグベクによって創建された。 |
グンバズィ・サイ−ダン廟A
中にはティムール一族が葬られている。 |
ドルッティロヴァット建築群
表通りからは、建物の美しさは判らなかったが、裏側から見ると美しい。 |
ティムール廟
ティムールは生前、生誕地のシャフリサブスに葬られることを希望し墓も作ったが、
遠征先で死亡し、雪のためシャフリサブスまで亡骸を運ぶことができず、結局サマルカンドに葬られた。
従って、ここにはティムールの亡骸はない。 |
サマルカンド
イスラムの宝石とも呼ばれるサマルカンドは、シルクロードの中心地として2000年以上の歴史を持つ町である。
この街も、モンゴル軍によって一旦灰燼に帰したが、後にティムール帝国の首都が置かれ、イスラム世界有数の都市として繁栄を極めた。
現在も人口50万人のウズベキスタン第3の都市として、この地方の中心都市となっている。街は世界遺産に指定され、修復・保全が進められている。 |
シャーヒズィンダ廟群
ティムールゆかりの人々が眠る丘。行ったときは大規模な修復作業中であった。 |
ビビハニムモスク@
ティムールによって創建され、かつてイスラム世界最大を誇ったモスク。
帝国各地から集められた職人、労働者と象を大動員しわずか1年余りで完成したという。写真をクリックすると拡大します。 |
ビビハニムモスクA
その突貫工事が祟ってか、完成直後からモスク内部のレンガの落下が始まり、礼拝所としては使用されなくなった。 |
ビビハニムモスクB
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シヤブ・バザール
ビビハニムモスクの横には、バザールがあり、サマルカンドの台所となっている。
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グリ・アミール廟@
ここにはティムール、ウルクベクなど一族が葬られている。 |
グリ・アミール廟A
内部は修復され、創建時の鮮やかさが蘇った。写真をクリックすると拡大します。 |
グリ・アミール廟B
埋葬者の墓石。本当の墓はこの地下3メートルのところにある。
その墓には、「墓を開けると私より怖い敵がやってくる。」とかかれている。1941年、調査のため墓が開けられ、ティムールの足が不自由だったこと、
ウルクベクが暗殺されたことなどが確認されたが、直後にヒットラーによるソ連侵攻が始まり、謀らずもこの言葉が現実のものとなった。 |
アフラシャブの丘
モンゴル軍の襲撃を受けるまで、サマルカンドの街はこの丘にあった。今は見渡す限りの荒地で、かつて街があったと思わせるものは何もない。 |
ウルクベク天文台跡
ティムール帝国の皇帝ウルクベクは一流の学者でもあった。自ら天文台を作り天体観測を行った。
しかし、そのことがイスラム保守派の反感を買い、最期は息子に暗殺される。 |
レギスタン広場
3つのメドレセが向かい合う景観はまさに圧巻。写真をクリックすると拡大します。 |
シェルドル・メドレセ@
モスクに偶像や動物を描くことはタブーであったが、その禁を破って1636年に完成した。建築家がその責任を取って自殺したという話しが残っている。
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シェルドル・メドレセA
背中に人の顔を背負ったライオン(虎?)は、ウズベキスタンの200スム紙幣のデザインになっている。写真をクリックすると拡大します。
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ウルクベク・メドレセ
ウルクベクによって1420年に完成した。広場の3つのメドレセの中で1番古い。写真をクリックすると拡大します。 |
ティラカリ・メドレセ@
内部は修復され、天井は光り輝く黄金で装飾されている。写真をクリックすると拡大します。 |
ティラカリ・メドレセA
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