撮影時期:2010年5月2日〜5月4日
デリー
現代インドの首都として政治経済の中心をなす街、デリー。ガンジス川の支流、ヤムナー川のほとり、 西方からはヒマラヤとタール砂漠の間の回廊を通って平原に抜けた位置に存するため、歴史上度々争奪の 舞台となった。街はムガル時代に開けたオールドデリーと、イギリス統治時代の計画都市ニューデリーか らなる。 | |||
ラージカート インド建国の父、マハトマ・ガンジーが荼毘に付された場所。 |
ラール・キラー@ ムガール帝国の全盛期、皇帝シャー・ジャハーンによって建設が進められた城郭。 写真はその正門となるラホール門。現パキスタンのラホールの方向を向いていることから名づけられた。 赤っぽい砂岩でできていることから、レッド・フォート(赤い砦)とも呼ばれる。 |
ラール・キラーA 中庭の向こうは、皇帝との謁見の場となっていた御殿、ディワン・イ・アーム。 内部には大理石でできた玉座があるが、そこにはめ込まれていた大小様々の宝石はほとんど持ち去られ、現在は無い。 |
ラール・キラーB 写真右はディワン・イ・カース。皇帝が側近と会議をするための場所。 左側は皇帝専用のモスク、モティ・マスジット。 |
ラール・キラーC ディワン・イ・カースには、かつて貴金属やサファイア・ルビー等の宝石で装飾された玉座が 置かれていたが、この地に侵入したペルシャに持ち去られた。列柱に施された装飾が唯一、当時の栄華を偲ばせる。 |
ラール・キラーD 敷地の一角には、この場には不似合いなヨーロッパ風の重厚な建物も存在する。 この地を征服した英国軍の兵舎として使われていたもの。 |
クトゥブ・ミナール@ ヒンドゥー王朝を打ち破り、初めてこの地にイスラム王朝を打ち立てたクトゥブ・ウッディーン によって12世紀末に建設が始まり、14世紀に完成した巨大なタワー。竣工当時の高さは100メートルあったと されるが、後に先端部が崩れ落ちて現在の高さは73メートルほど。 |
クトゥブ・ミナールA 塔は、砂岩や大理石を組み立てて作られ、漆喰や釘の類は使われていない。 表面にはアラビア文字や幾何学文様の装飾が残り、数百年を経た現在もまるで最近できたばかりの美しさである。 |
クトゥブ・ミナールB 塔の脇にはインド最古のモスク、クワットゥル・イスラム・モスクがあり、その中庭には7メートル程の鉄柱が建っている。 この鉄柱はモスクが建つはるか以前の4世紀からあり、100%近い純度の鉄が使われているため錆びないのだという。 |
クトゥブ・ミナールC クワットゥル・イスラム・モスクの天井に施された装飾。 |
クトゥブ・ミナールD クトゥブ・ミナール完成の後、さらに2倍の高さを目指してアラーイ・ミナールの建設が始められたが、 王の死とともに中断し、そのまま放棄された。 |
フマユーン廟@ ムガール帝国第2代皇帝、フマユーンの霊廟。完璧な左右対称を成し、白大理石のドームやアーチ型の出入り口など、 後のタージマハルのモデルになったとされている。 |
フマユーン廟A 建物の中央にある棺。ただし、本当の棺は地下にある。このあたりは、ティムール帝国の皇帝の霊廟と同じ造りだ。 |
フマユーン廟B 敷地内の一角にある建造物には、サマルカンドのティムール帝国時代の建築物を思わせるコバルトブルーの装飾が見られる。
ムガール帝国が、ティムール帝国の末裔によって建てられた国であることを目に見える形で示しているかのようだ。 | ||
ジャイプール
ラージャスタン州の州都、ジャイプール。その名は、18世紀にこの地を治めたマハラジャ、ジャイ・スィン2世に 由来する。旧市街の町並みにはピンク色が目立つことから、「ピンクシティ」とも呼ばれる。街の鮮やかさとは対照的に、 背後にはタール砂漠へとつながる灰色の大地が広がる。 | |||
シティー・パレス@ ジャイ・スィン2世によって1726年に造られ、その後増改築が繰り返された。 門の上部にある窓は本物ではなく、装飾として描かれたものである。 |
シティー・パレスA シティ・パレスの中庭。現在もマハラジャがここに住んでおり、マハラジャがいるときは、 そのサインとして旗が掲げられている。広場の周辺は、マハラジャたちの衣装や武器などが展示された博物館と なっている。 |
シティー・パレスB 謁見の間。ピンクと大理石の白のコントラストが眩しい。 |
シティー・パレスC 謁見の間に置かれた巨大な銀の壷。マハラジャがイギリスを旅行するときに、この壷にガンジス川の 水を入れて持って行き、沐浴したそうだ。 |
風の宮殿@ ジャイプールの繁華街のひときわ目を惹くピンク色の建物が風の宮殿。1799年創建。
数多くの出窓が連なり、蜂の巣のようだ。 |
風の宮殿A 窓からは、宮廷で暮らす女性たちが街の様子を見下ろしていたという。 |
水の宮殿 湖上に造られた宮殿。 |
アンベール城@ ジャイプールの北11キロの岩山に建設された、巨大な城塞。 勇猛なことで名を馳せたラージプート族のマハラジャにより、1592に着工され、ジャイプールに遷都されるまで アンベール王国の都であった。 |
アンベール城A 麓から城までは、象に乗って上がることもできる。 |
アンベール城B 象に揺られてお城へ。一見、長閑ではあるが、象使いの執拗なチップの要求には辟易であった。 |
アンベール城C 城からの風景。街の周囲は乾いた灰色の大地が広がる。 |
アンベール城D ガネーシャ門。門全体に繊細な装飾が施されている。 |
アンベール城E ガネーシャ門の出入り口のアーチ部には、ヒンドゥー教の神様、ガネーシャの愛らしい姿が描かれている。 |
アンベール城F 乾いた景色ばかり見てきた目には、中庭の緑が眩しい。その向こうは鏡の間(左)とハーレム(右)。 |
アンベール城G 鏡の間内部。鏡を散りばめた装飾が美しい。 | |
アグラ
アグラは、デリーから南東へ200キロ、ヤムナー川沿いに下ったところに位置する人口130万人ほどの地方都市。 古くから栄えた街であったが、アクバル、ジャハーンギル、シャー・ジャハーンと3代続くムガール帝国の絶頂期に 都が置かれ、当時築かれたタージ・マハルやアグラ城などインドを代表する歴史的建造物が残る町として有名である。 | |||
ファテープル・スィークリー@ ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって、アグラの南西39キロに新たに築かれた都。 1571年にアグラから遷都されたが、水不足のためわずか14年で放棄された。 |
ファテープル・スィークリーA 謁見の間、ディワニ・カーズ内部の柱。精巧な彫刻が施され、一見、木造のようだが石造りである。 |
ファテープル・スィークリーB 謁見の間ディワ二・カーズの概観。 |
ファテープル・スィークリーC ブランド門とイスラームカーン廟。 |
アグラ城@ アクバルにより1565年に着工され、孫のシャージャハーンの代まで増改築が繰り返された。 威容を誇る城壁は、20メートル以上、外周2.5キロもある。写真はアマル・シン門。 |
アグラ城A ダルシャニ門。 |
アグラ城B ジャハーンギル宮殿。アクバルが息子のジャハーンギルのために建てた宮殿と考えられている。 |
アグラ城C アグラ城から眺めるタージ・マハル。第5代皇帝シャージャハーンは、晩年ここに幽閉され、 亡き妻の眠るタージ・マハルを眺めて過ごした。 |
アグラ城D ゴールデンパビリオン。屋根は金ではなく真鍮。 |
アグラ城E ゴールデンパビリオン。屋根は金ではなく真鍮。 |
タージ・マハル@ タージマハルの正門。正門だけでも十分立派で一見の価値がある。 |
タージ・マハルA 定番の撮影ポイントより。手前の水路には逆さタージマハル。 |
タージ・マハルB 朝日に映えるタージ・マハル。タージ・マハルは、シャー・ジャハーンが亡き愛妃のために築いた 広大、壮麗なお墓である。 |
タージ・マハルC タージ・マハルの脇にあるモスク。白大理石と赤砂岩のコントラストが見事。 |
タージ・マハルD タージ・マハルの表面は、上質の白大理石で覆われている。大気汚染によるダメージを防ぐため、 周囲一帯は工場などの建設が禁止されているほか、ガソリン車等は4キロ手前のゲートで進入が禁止され、 敷地内で運行されている電気自動車に乗り換えなければならない。 |
タージ・マハルE 隣接する建物から。 |