一帆風順

 昨年の末から書き始めた行雲流水が、お陰を持ちまして当初予定していた30回に達しましたので、 気分一新、看板を架け替え、「一帆風順」として再スタートすることにしました。

 約9ヶ月にわたって書き続けた旅ネタですが、今のところまだネタ枯れとまではなっていませんので、 行雲流水の続編として、引き続き旅の中での出来事、旅の中で考えたこと、そして時には行った先の情勢など、 硬軟織り交ぜて可能な限り書き綴っていきたいと思います。


22.さよならウッタム、また会おう
 17年間にわたりネパールで一緒に活動してきた3人のメンバーの1人、 ウッタムがアメリカ・ボストンに旅立った。 旅立つと言っても旅行ではなく、奥さん、子供を連れての移住である。 ……(2017.1.29記)

21.2072年が最悪の年だったと言えるように
 ビクラム暦という独自の暦がネパールにはある。そのビクラム暦によれば今年は2073年にあたり、 西暦でいうところの2016年4月13日がビクラム暦2073年の元日であった。都市部では西暦も併用されてはいるものの、 ……(2016.9.2記)

20.ネパール大地震に思う
 いつかこんなことが起こると思っていた。4月25日に発生したネパール大地震。 耐震性のない建物が多くの人々の命を奪った。ネパールの友人たちにはこれまで何度も 「いつか大地震が来て大変なことになる。」と言ってきたが……(2015.4.30記)

19.行ってみないとわからない
 年末年始の休みを利用して、イスラエルを旅してきた。 出発前にそのことを周囲の人々に 話すと、異口同音に「そんなところ行っても大丈夫?」という答えが返ってきた。数次にわたる中東諸国との戦争。 ……(2010.2.21記)

18.タイ情勢に翻弄
 私はこれまで計8回ネパールを訪問しているが、当初、その行き帰りには関空から直行便があった ロイヤルネパール航空(現ネパール航空)を利用していた。しかし、4回目以降はすべてタイ航空を利用している。 ……(2009.8.2記)

17.マオイストのネパール
ネパールの王制が廃止され、共和制となってからまもなく1年が経つ。
私がネパールを初めて訪れた2000年、当時のビレンドラ国王は自ら推し進めた民主化政策により、政治の世界から身を引いていたものの、 ……(2009.4.29記)

16.円パワー失速
9月に7回目の訪問となるネパールへタイ経由で行ってきた。このコースを辿るのは4度目なので、 カトマンズのみならずバンコクにおいても、一日を過ごすために必要な知識については大雑把には把握しているつもりである。 ……(2007.11.11記)

15.泰緬鉄道の悲劇
2006年9月、タイ・バンコクの西方の町、カンチャナブリを訪れた。 一見、平凡な田舎町にすぎないこの町を有名にしているのは、 何と言っても映画「戦場にかける橋」の舞台となったクウェー川鉄橋があるからである。……(2007.8.25記)

14.日経新聞に...
先日(といってももう1ヵ月以上前になるが)、私のネパールでの活動が、日経新聞全国版の記事になった。 会社宛てに「従業員の中で仕事以外に変わったことをやっている人を記事にしたいので紹介して欲しい。」との依頼があり、 その“変わった人”として白羽の矢が立ち、記事になった次第である。……(2007.7.29記)

13.祝 和平協定成立!
2006年11月21日。この日はネパール国民にとって永遠に記憶される日となるだろう。 政府とマオイストの和平協定成立。それは国民の殆どが望んでいながら実現は無理と思われていた。 だけど、突然それが現実のものとなった。……(2006.11.28記)

12.めざせ大統領!
ウズベキスタン旅行中、マンツーマンでガイドを務めてくれたウズベク人のS君は、ただならぬ人物である。
タシケント東洋大学で経済学を専攻する傍ら日本語を学び、わずか2年弱でペラペラの領域に到達。……(2006.6.3記)

11.NHL観戦記
北米大陸横断の旅の途中、1988年冬季オリンピックの開催地として有名なカナダ中西部の町、 カルガリーに立ち寄った。季節は3月初旬。とはいえ気温は日中でも氷点下10度前後で、外を30分も歩いていると思考力が鈍り、 頭がボーっとしてくる。……(2006.5.14記)

10.ティミ・クランクケース破裂事件A
幸にも草むらに生えている草はあまり背丈の高いものではなく、せいぜい20センチ程度のものであった。 我々は腰をかがめて草を掻き分けながら地面に落ちているものを見つけては、壊れたバイクの部品でないかを確認した。……(2006.2.4記)

9.ティミ・クランクケース破裂事件@
ネパールではマイカーを保有している人は、お金持ちか事業で使用している人に限られており、国民全体から見ればまだ保有率は低い。 少し頑張ればインド車ぐらいは買えそうな人々はかなりいるのだが、彼らの多くは車ではなくバイクを保有しており、……(2006.1.29記)

8.ティミ土管放置事件
ネパールへ行くと毎回日本ではあり得ない出来事に遭遇する。その出来事を面白いと感じるか、それとももうまっぴらと感じるかが、 この国を好きになるか嫌いになるかの分かれ目になると思う。……(2006.1.8記)

7.ムルパ二・スタック事件
カトマンズ郊外のムルパ二村にある小学校を訪問したときのこと。村へはカトマンズから20キロも離れていないのだが、 幹線道路を外れた後の道は大変険しく、車一台がようやく通れるほどの峠道を越えて村へと辿り着いた。……(2006.1.2記)

6.ルンビニ待ち伏せ事件
ネパール南部、ブッダの生誕地として有名なルンビニから、 ブッダが出家するまで王子として過ごしたティラウラコットの城跡を観光した帰り道、突然の待ち伏せに遭った。……(2005.12.11記)

5.あわやシベリア送り?
今を去ること15年前、当時のソ連を訪れた際に起きたドタバタ劇については、 以前、行雲流水の中で4回にわたって書いたが、実はこの国での最大のピンチは出国時であった。……(2005.11.23記)

4.特効薬
その後、トリヨタム氏とは夕食を共にしたあと別れ、雷雨の中、滞在先のニランジャンの家に戻った。 寝る前になり、何となく腹がゴロゴロするので、日本から持参した正露丸をとりあえず飲むことにする。……(2005.11.8記)

3.水牛の生肉を食す
ネパールでのボランティアプログラムを終えた昼下がり、 一緒に孤児院を往復したトリヨタム氏がおもしろい料理があるので食べに行こうというので、連れて行ってもらうことにした。……(2005.10.30記)

2.ネパールホットニュースA〜虚しいパフォーマンス
午後の便でネパールを去ることになっていた日の午前、パタンの街を国王と王妃がパレードするというので見に行くことにした。 国王夫妻は、街はずれで車を降り、歩いて中心街へ向かい、……(2005.10.24記)

1.ネパールホットニュース@〜膨張する街
9月18日から4日間、ネパールのカトマンズ、パタン、バグタプルを訪れた。今回から数回に分けて、 その滞在中に感じたこと、起こったことなど書き連ねてみたい。……(2005.10.16記)



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