'18ネパール編
ネパール訪問も回を重ねること今回が20回目。
ネパールへ通い始めた頃は、まさかこんなに長く続くとは思っていなかった。それがここまで続いたのには、
やはり人と人の繋がりが大きい。もうすっかり長い付き合いとなったネパールの気の置けない友人たちと、
毎回ネパール各地を旅しながらひとつひとつのミッションを成し遂げていく過程は、
何ものにも代えがたい充実した時間であった。
初めから高い志があったわけでもなく、今だって志と呼べるほど立派なものがあるわけではない。長く続いた秘訣はやはり人。
あとは自分自身が無理せず楽しみながらやっていることかな。
今回は来年1月から青年海外協力隊でネパールへ派遣されることが決まっているKさんが、
下見を兼ねて大分から参加。そのKさんが自宅を出て乗った電車が故障し、
飛行機に間に合わないといういきなりのトラブルがあったものの、
代替策を速やかに取ったおかげでネパールでのスケジュールには支障をきたすことなく、
当初の予定どおり順調にこなすことができた。
そのネパールの状況であるが、一段とバイクや車が増えて交通渋滞がひどくなった印象。
一方でこれまでカトマンズの交通のボトルネックとなっていた橋の脇にもうひとつ橋が架けられていたり、
以前通ったときはとんでもない悪路だったジャナクプル近郊の道路が舗装されていたりと、
少しずつではあるがインフラの整備も進みつつある様子。
地震で壊れたままだったパタンの旧王宮前の建造物の復旧もようやく始まり、
地震後の足踏み状態からようやく前に進み始めたのではないかと感じられた今年のネパールだった。
○日 程:2018年9月11日〜9月16日
○主な活動先:@パタン市/ニハリカ・パブリック・スクール、ホライズン・イングリッシュ・スクール、ディニシャちゃんの自宅、
Aパタン市/パタンCBR、
Bバグタプル市/筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティー、
Cスガニカス村/モハン第2学校、
Dカトマンズ市/ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラム、
Eカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール
ビブティちゃんとの再会@
ネパールに到着してまずは3年前から学費のお世話をしているビブティちゃんの4年目の学費を納めに彼女の通う小学校へ。
ビブティちゃんは放課後の補習授業を受けている最中で、その補習授業をちょっとだけ抜け出してもらい再会を果たす。
先生によれば、ビブティちゃんはこの1年間は欠席も少なく、成績も安定してきたとのこと。
3年前、麻薬中毒で一家離散とビブティちゃんが学校に通えなくなる原因を作った父親は今日は姿を見せなかったが、
相変わらず仕事もせずフラフラしているらしい。
ビブティちゃんの学校には彼女の1年分の学費51,670ルピー(≒51,000円、私のポケットマネーで充当)を納付。
ビブティちゃんには鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノート、メモ帳等をプレゼント。
ディニシャちゃんとの再会@
ビブティちゃんとの再会を果たした後は、同じく学費のお世話をしているディニシャちゃんの学校へバイクで慌ただしく移動。
到着が予定より遅れたためか、校門の前ではディニシャちゃんの祖母が我々の到着を待っていてくれた。
校長室でディニシャちゃんとも再会。校長先生によれば、ディニシャちゃんは最近、校内のスポーツ大会で大活躍し、
特にバトミントンでは優勝したとのこと。この後訪問したディニシャちゃんの自宅には、
スポーツ大会で獲得したメダルが飾ってあった。
ディニシャちゃんの学校にも1年分の学費66,210ルピー(≒66,000円、私のポケットマネーで充当)を納付。
ディニシャちゃんにも鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノート、メモ帳等をプレゼントした。
ディニシャちゃんとの再会A
ディニシャちゃんの学校に学費を納めた後は、彼女の母親と祖母の招きですぐ近くの彼女の自宅へ。
ネパール大地震で大きな亀裂が入ったままの彼女の家は、今年もまだ修理されておらず地震直後のままだった。
1階の土間には製作中の絨毯。ディニシャちゃんの家計は母親が作るこの絨毯で何とか成り立っている。
アル中療養中(のはず)の父親はこの日は自宅におらず。仕事にはやっぱり就いていないらしい。
ディニシャちゃんの話題になると明るい表情でいろいろ話してくれる母親と祖母。
それを見ていると3年前に学費のお世話を決断して良かったなと思う。
パタンCBRにて
パタンCBRへは昨年に続いての訪問。ここも初訪問から早いものでもう7年になる。
実はこの日パタンCBRはお休み。本当は子供たちがいる日に訪れたかったのだが、スケジュールの調整がつかず
この日の訪問となった。
パタンCBRには20,000ルピー(≒20,000円、カレーの会の売上を充当)と、ノート、自由帳、鉛筆、色鉛筆、サインペン、
クレヨンを寄贈。
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティーにて
12〜13年前から毎年訪問している筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティーを今年も訪問。
まずは昨年も会った3人と再会を果たしひと安心。子供たちの病状も安定しており、毎日、リハビリをしたり、
油絵を描いたりしながら過ごしているとのこと。筋ジストロフィーという難病ゆえに軽々しく言えることではないが、
この穏やかな時間がいつまでも続いてくれることを願う。
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティーには20,000ルピー(≒20,000円、岐阜のIさん、
兵庫のYさんからお預かりしたお金を充当)を寄付した。
ジャナクプルへの道
パタンCBRと筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティーを訪問した後は、
ネパール南部の町ジャナクプルへ向けて車で7時間の移動。この日はネパールの女性のお祭りティージにあたっていたため、
先々でカラフルに着飾った女性の姿を目にした。
この日だけは男性そっちのけで女性だけで歌って踊って大いに盛り上がる。
スガニカス村への道
前夜はジャナクプルのホテルで1泊し、フリーヘルスキャンプと学用品の配布を行うスガニカス村の小学校へ車で移動。
スガニカス村のこの小学校へは4年前にも訪れており、そこへ至る道のりはわずか10キロ程度にも拘わらず、
車移動で2時間も要した酷い悪路。
前夜に雨が降った今回はどうなることかと心配していたら、一番酷かった部分が舗装道路となっており、
今回は何と40分ほどで到着。とはいえ途中にはご覧のような泥のプールとなった部分も。
まあこの程度のところはネパール中至る所にあるので驚くには値しないけど。
モハン第2学校にて@
モハン第2学校では4年前にもお会いしたスガニカス村の村長さんに加え、スガニカス村を含む市の市長さんともご挨拶。
今回のメディカルキャンプはどうも地元を挙げての大きなイベントになっているらしい。
ちょっとコワモテの市長さんだし権威におもねる気もないけど、地元挙げての歓迎は我々にとっても喜ばしいことなので、
ここは愛想よくご挨拶。
モハン第2学校にてA
ひと通りのご挨拶が済んだ後は、児童約260人に並んでもらい、順番に学用品などを配布。
児童1人につき鉛筆2本、ボールペン1本、消しゴム1個、ノート1冊、歯磨きセット1セットを配布。
これらの物資の多くは、静岡のとある私立高校の生徒さんたちが全校挙げて集めてくれたもの。
非常に状態の良いものを選んで集めていただいたおかげで、お預かりしたものをそのまま児童たちにお届けすることができ、
児童たちもとても喜んでくれました。
モハン第2学校にてB
このあとフリーヘルスキャンプが控えているので、すでに学校に来て受診を待っている方たちのためにも、
学用品の配布は要領よく行う必要がある。260人にスムーズに配るためには何よりみんなの協力が必要だが、
何をいくつセットするかをスージットたちに伝えると彼らも手慣れたもので、てきぱきとセットして手渡ししてくれる。
子供たちにはもちろん一人ずつ目を合わせて丁寧にお渡ししたが、それでも配布は30〜40分で完了することができた。
モハン第2学校にてC
学用品の配布作業にはなぜか市長さんも参加。市長さんが寄付したものでもないし「え、なぜ?」って一瞬思ったけど、
忙しい我々のお手伝いをしてくれるんだと好意的に解釈することに。私と市長さんで交互に児童に手渡しする形となる。
市長さんが児童に学用品を渡すたびにお付きの人たちがカメラをパシャパシャパシャ。
表情が硬い児童には「スマイル」と言って、児童の頬を触ったりして笑顔を促している。
表情が硬いのは市長さんがコワモテだからじゃなのかな。
暫くしたら市長の携帯に電話がかかってきたので配布を中断するのかと思ったら、
携帯電話で話をしながら片手で配布作業を続ける市長さん。
「そんなに忙しいのならもう帰っていいよ。」と心の中で呟いていたら、電話の後本当にすぐ帰ってしまいました。
しかも我々には何も告げずに。確かに帰っていいよとは思ったものの、
本当に帰ってしまうと何だか湧き上がってくるモヤモヤ感。結局はいい市長をアピールできる写真が撮りたかったんだよなー。
もしかして今日のプログラムも、全て市長の功績になってしまうのだろうか。
モハン第2学校にてD
学用品の配布に続いてジャナクプルの医師たちによるフリーヘルスキャンプがスタート。
ヘルスキャンプは日本側の資金提供の下、ジャナクプルの医師、看護師、薬剤師たちに協力いただき、
日頃医療サービスを受けることができない貧しい村人たちに対し、
お金を一切取らずに医師の診察と処方薬を提供するプログラム。
ジャナクプルの医師たちにご協力いただくのは、4年前、2年前に続いて3回目。今回からの新しい取り組みとして、
献血の呼びかけも行うこととなり、エネルギーがみなぎっていそうな若者が早速献血に参加。
木陰の下で行う献血は日本ではなかなか考えられないけど、教室の中で行うよりは風通しもいいし、
周囲の視線さえ気にならなければリラックスできて良さそう。
モハン第2学校にてE
フリーヘルスキャンプでは、まず受付を済ませた後、受付で申告した症状に応じて内科、外科、歯科、眼科、
婦人科などの医師が待つ教室に移動して診察を受ける。医師が症状を診察し、処方箋を書いて患者に手渡す。
その処方箋を持って今度は薬剤師がいる教室へ移動し、薬を処方してもらうという流れ。
大型の機器類を持ち込みことはできないのでやれることには限界があるのだが、
医師や薬剤師の皆さんは、朝10時頃から昼食をはさんで夕方4時過ぎまで暑い暑い教室の中で一生懸命村人を診てくれました。
モハン第2学校にてF
ネパールでは医療保険制度がないうえ、医薬品の大半を外国からの輸入に頼っているので医療費は日本より高額。
今回のヘルスキャンプでは、医師たちにはほぼボランティアで協力いただいているが、医薬品のほうはそうはいかず、
処方薬の購入だけで94,000ルピー(≒94,000円)を要した。これでも歯科医のアマルのツテで相当安く仕入れたもの。
そのほか医師、看護師、薬剤師たちの昼食代15,000ルピー(≒15,000円)、
ジャナクプル・スガニカス村間の彼らの交通費6,000ルピー(≒6,000円)と合わせて、東京のNさん、名古屋のTさん、
名古屋のAさんからお預かりした資金を活用させていただきました。
モハン第2学校にてG
このほか学校の先生に多色ボールペン、鉛筆、鉛筆削り、消しゴム、ノート、メモ帳、レポート用紙を、
ヘルスキャンプのアシスタントをしてくれたこの学校の高学年の生徒たちにタオルと石鹸ををプレゼント。
さらに学校の備品としてバレーボール2個、サッカーボール2個、バトミントンラケット4本、シャトル1箱、
バトミントンネット1つ、ボードゲーム1セットを寄贈。
これらの購入費用9,500ルピー(≒9,500円)は、
カレーの会等のイベントで募金箱に募金いただいた資金を活用させていただきました。
スガニカス村の村長さんたちからはお返しとして、お礼状と地元ミティーラ族特有の絵画「ミティーラアート」をいただきました。
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにて@
毎年恒例となったサンリサ孤児院の子供たちによる音楽とダンスのプログラムを開催すべく、
パシュパティナートの隣にある老人ホーム、ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムへ。
それに先立ち、ネパールのカースト制度において最下層におかれているバディ族の少女の人身売買の問題に取り組んでいる
CCS(クリスチャン・コミュニティー・スクール・カトマンズ)の方と待ち合わせ。
彼らはインドの売春街へ拉致同然で連れてこられたバディ族の少女たちを、現地警察の協力を得ながら捜索・奪還し、
将来の自立に向けて、彼らが運営する全寮制の学校で教育を受けさせる取り組みを行っており、
現在600人もの生徒が学んでいるとのこと。
今回学用品を大量に集めてくれた静岡の私立高校の教師をしているNさんから、
ぜひ学校へ足を運んでみてはどうかとのお話しをいただき、訪問しようとしたのだが、先方との時間調整がどうしてもつかず、
パシュパティナートで待ち合わせして、手提げ袋一つ分の学用品、石鹸、タオルのみお渡しすることとなった。
来年こそは何とか時間を合わせて訪問したい。
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにてA
今回のプログラムには、老人ホームにたまたまボランティアに来ていた地元の女子大生たちが飛び入り参加。
まだ準備中に流していたCDの音楽に合わせ、歌って踊って早くもノリノリ。
一部のご老人たちも彼女たちに呼応して踊りに参加。開始前から会場は大盛り上がり。
この女子大生たちはプログラムの途中で帰ってしまったけど、お手伝いもしてくれたし、
何よりプログラムを盛り上げてくれて本当に有り難かった。
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにてB
ミュージックプログラムのはじまり〜。演奏する曲は冒頭の国家に続いて、ご老人の方々に馴染みのある民謡や懐メロばかり。
今回はいつも素晴らしい横笛を披露してくれていたリーダー格のジャヤが風邪のため参加できず、横笛はディネシュ一人。
彼もすっかり成長し、演奏の方も堂々として心細さを微塵も感じさせない。以前は2〜3曲ごとに休憩しながら演奏していたが、
今回は最初から最後まで出ずっぱり。メンバーのリード役を立派に務め上げた。
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにてC
音楽演奏の合い間にはダンスタイム。歌って踊って大活躍の6人。
2時間弱のプログラムは今年も大盛況のうちに無事終了。最後に全員で記念撮影。
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにてD
ソーシャル・ウェルフェアセンター・ブリダシュラムにはお米、チョウラ(飯干)、食用油、紅茶、砂糖、
ダルスープ用の豆(レンズ豆)、石鹸、洗剤を寄贈。これらの購入と運搬費用が29,165ルピー(≒29,000円)。
この他ミュージックプログラム開催にあたり、音響機器のレンタルに11,500ルピー(≒11,000円)、
子供たちの交通費に5,600ルピー(≒5,600円)。これらの費用にはネパールカレーの会の売上の一部や
ネパール雑貨の売上と寄付金を充てさせていただきました。
ランチタイム
ミュージックプログラム終了後は近くのレストランでサンリサ孤児院の子供たち、スタッフたちを労いランチ。
メニューはモモとチョウメンのハーフアンドハーフにドリンク。今回のレストランは少し高級そうに見えるけど、
値段はいつもと大差なし。私のポケットマネーでご馳走できる範囲です。
サンリサ孤児院にて@
昨年新たな場所で悲願だった自前のホームを建てたサンリサ孤児院。
新しくなったホームを訪れるのは昨年に続いて2回目。
日没まで子供たちと遊んだり、昨年はまだ整備中だった施設内部を見せてもらったりとまったりとした時間を過ごす。
サンリサ孤児院にてA
サンリサ孤児院には30,000ルピー(≒30,000円)と、ノート、鉛筆、色鉛筆、消しゴム、ボールペン、サインペン、
石鹸、タオル等を寄贈。お金については広島のHさん、
愛知のHさんからお預りした資金に私のポケットマネーをプラスして寄付しました。
サンリサ孤児院にてB
最後にサンリサ孤児院の子供たちとディナー。料理に使っている食材の多くはサンリサ孤児院の隣の土地を借りて
作っている野菜やお米、卵など。
サンリサ孤児院の子供たちのうちジャヤ、サラソーティー、カラ、ビンドゥーの4人は、今年、大学に進学。
最年長のラクパは21歳となり、看護学校を卒業し、ソーシャルワーカーの試験を受験。今、その結果を待っているとのこと。
彼らとはじめて会ってから11年。みんな健やかに成長し、それぞれの夢に向かって自ら選んだ道を歩み始めた。