'13ネパール編
13回目のネパール。ここ数年、同行者があった翌年は同行者なし、その翌年は同行者ありということが続いており、
今回もその流れどおり単独行となった。
今回の活動は、歯科医の協力を得てのカトマンズ郊外の小学校でのでのデンタルキャンプと文具類の配布。もうひとつ
は昨年に続いてのサンリサ孤児院の子供たちによる、パシュパティの老人ホームでのコンサート。さらには筋ジストロフィー・
ケア・ソサエティーとパタンCBRの訪問。昨年と比べれば地味な内容であるが、多少余裕があった分、サンリサ孤児院の子供た
ちとの交流時間を多く取ったり、現地の友人たちとの交流を深めたりすることができた。
それにしても、カトマンズを初めとする都市部の変貌ぶりは一段とスピードアップした観がある。これまでは白熱灯の街灯
がぽつんぽつんとあったのが一気にLEDに変わり、街がとても明るくなった。多くの若者がスマートフォンを持ち、街の至る所
にWIFIスポットが増えて、ネット接続環境は今や日本とほとんど変わらない状況である。さらには、若い女性のサリー姿はほぼ
絶滅状態。ネパール人に聞くと、改まった時にしかもうサリーは着ないそうである。今回、ショートパンツにハイヒール姿の
若い女性がスクーターを二人乗りしているのを見かけたが、こんな光景は10年前にはとても考えられなかった。
一方で、都市部を一歩出ると昔と何も変わらぬ状況が続いている。貧しい地域は貧しいままであり、カトマンズに近いところ
村だけが辛うじておこぼれに与れるかどうか。インフレで都市部の暮らしも楽ではないが、これからは物が溢れる都市部と、
何もない地方の二極化がこの国でも問題になりそうな予感がする。
○日 程:2013年9月15日〜9月21日
○主な活動先:@バグタプル市/筋ジストロフィー・ケア・ソサエティー、
Aラリトプル郡ドゥクチャ村/チャンディ・デヴィ小学校、
Bパタン市/パタンCBR、
Cカトマンズ市/ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラム、
Dカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにて@
ここ数年、ほぼ毎年訪問している筋ジストロフィー・ケア・ソサエティー。この1年の間にとても悲しい出来事があった。
この施設で筋ジストロフィーの病魔と闘っていた施設の会長の長男が、7月末に20歳そこそこの若さで亡くなった。
facebook上には、彼の死を悼む書込みが次々になされていたのを目にしていた。会長さんにいったいどんな言葉を
かけたらいいだろうかと考えていたのだが、会長さんはいつもと変わらぬ柔らかな表情で我々を迎えてくれた。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてA
東京のNさん、岐阜のTさんからお預かりした現金に私のものを足して40,000ルピー(≒40,000円)を寄贈。
会長さんが頭を剃り白い服を着ているのは、ネパールでは喪に服していることの証し。だけど会長さんとのやりとりはいつもと
変わることなく、にこやかに会話を交わすことができた。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてB
子供たちの油絵の腕はまたあがった印象。寄付のお礼に絵をいただく。3枚選んでいいとのことで適当に選んだら、うち1枚は
亡くなった息子さんが描いたものだった。本当にもらっていいのかと尋ねたら、会長さんはまったく構わないという表情で、
どうぞと言ってくれた。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてC
最後に全員で記念撮影。今度来たときは全員の元気な顔がまた見れますように。写真をクリックすると拡大します。
ドゥクチャ村へ@
ドゥクチャ村はカトマンズ南方約15キロにある村。距離は近いがそこへ至る道路が驚くほど酷いうえ、最後は車を降りて歩き
となる。車を降りるポイントでは小学校からやってきた子供たちが待っていた。
ドゥクチャ村へA
子供たちは車から降ろした荷物を我先にと受け取り、小学校へと駆けていく。幸いにも歩く距離は大したことはなく、
川沿いを約20分歩いて小学校に着いた。
チャンディ・デヴィ小学校にて@
小学校に到着すると、手作りの首飾りでお出迎え。
チャンディ・デヴィ小学校にてA
まず職員室に案内してもらうと、壁には藤岡琢也がトゥオピ(ネパールの男性が被る伝統的な帽子)を被ったのかと見まがう
ような写真が。写真の下には”YOSHINOBU OGINO”と書いてあり、この学校の校舎を建てた人だそうだ。彼はネパール国内に
20以上の学校の校舎を建てて、国王から感謝状をもらったという。私なんかよりずーっと偉い人です。
チャンディ・デヴィ小学校にてB
スージットの同僚歯科医アマルによる歯の検診。今回は学校側からのリクエストにより、虫歯が見つかっても抜歯はせず。
その代わり診断書を書いて手渡し、治療を促すことに。でも、検診の様子を見たところ、ほとんど虫歯の子供はいなささそう。
チャンディ・デヴィ小学校にてC
小さな子にはお姉ちゃんらしき子供がついて、ちゃんとお口の中を見せるように指示をする。こんな光景を目にすると
心が和みます。
チャンディ・デヴィ小学校にてD
いつものように、検診の済んだ子供には歯磨きセットを手渡し。これらは東京のNさんからご提供いただいた資金を
で購入。歯磨きペースト、歯ブラシ各210個、締めて8,400ルピー(≒8,400円)。
チャンディ・デヴィ小学校にてE
今回、少し以外に思ったのは、物が溢れるカトマンズに近い村の小学校にも関わらず、靴を履いていない子供が何人かいたこと。
昨年のカトマンズからは山をいくつもいくつも越えた遥か彼方のラムジュンの小学校でも裸足の子供は見なかった。
それだけこの村は貧しいということであろうが、カトマンズ近郊にまだこんな村があったのは驚きであった。
チャンディ・デヴィ小学校にてF
校舎の一室には数台のパソコンが置いてあった。これは外国企業やNGOが寄付していったものだそうである。
チャンディ・デヴィ小学校にてG
歯の検診が済んだあとは日本から持参したり、ネパールで購入した学用品の配布。配布したのはバッグ、鉛筆、消しゴム
ノート。うちバッグ50個は岐阜のIさんの手作り。またバッグ152個、その他ノート、鉛筆、消しゴム、サッカーボール、
バドミントンセット購入に49,507ルピー(≒49,507円)は東京のNさん提供によるもの。写真をクリックすると拡大します。
チャンディ・デヴィ小学校にてH
こちらから希望したわけではないのですが、各学年ごとに配布が終わると当該児童たちとともに記念撮影することになって
しまった。写真をクリックすると拡大します。
チャンディ・デヴィ小学校にてI
学用品を全児童に配った後は、学校への寄贈物としてレポート用紙、マジック、定規、コンパス、鉛筆、消しゴム、サッカーボール、
バドミントンセットを贈呈。
チャンディ・デヴィ小学校にてJ
最後に全員で記念撮影。写真をクリックすると拡大します。
パタンCBRにて@
次に訪問したのはパタンCBR(Patan Community Based Rehabilitatuon)。今回が初訪問である。ダウン症や発達障害、
体に障害のある子供たちがその症状に応じたデイケアを受けている。宿泊施設はない。朝9時に訪問するとちょうど子供たちが
通ってくるところで、症状の重い子供や遠方の子供は施設が保有するスクールバスで迎えにいく。
パタンCBRにてA
こちらは障害の重い子供たちの教室。主に体の機能向上のためのリハビリを行っているそうだ。
パタンCBRにてB
こちらは普通の小学校に通うための訓練を行っているところ。ここである程度訓練を受けた子供たちは、健常者と同じ小学校に
通う。この教室では、ノルウェーやオーストラリアから来たボランティアが働いていた。
パタンCBRにてC
こちらでは子供たちがろうそく作りを行っていた。我々が近づいても我関せずという感じで、作業に集中しきっている様子。
時折、アシスタントに「あれ取って、これ取って。」と指示を出しながら手際よくろうそくを切り出していく姿は、
まるで職人のようで仕事に対する強いプライドが窺えた。
パタンCBRにてD
施設を見せていただいたお礼に1万ルピー(≒1万円)を寄付。一緒に写っているのはこの施設の事務長さん。実はパタンCBR
はいつも一緒に活動しているウッタム、スージット、ニランジャンたちとは違う方から紹介していただいたのだが、この写真を
ウッタムに見せたところ、ウッタムの隣の家の住人であることが判明。本業は大学教授とのこと。世間は意外と狭いということを
ネパールでも実感。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにて@
昨年に続いてサンリサ孤児院の協力の下、身寄りのない老人たちが暮らすソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムでの
サンリサ孤児院の子供たちによる演奏会を開催。今年は仮設のステージに大きな幕も設置してかなり本格的。
今年も音響機器類は、東京のNさんの資金を活用してレンタル(18,000ルピー≒18,000円)。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてA
ネパール伝統の笛と太鼓を担当するのはジャヤ、ディネシュ、カラ。バイオリンを担当するのはラクパ、ビンドゥー、サラソーティ。
笛と太鼓の3人の腕前はなかなかのものということは、昨年の演奏会で十分分かっていたが、今回はバイオリンの3人の
上達ぶりが目覚しい。写真をクリックすると拡大します。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてB
もう2度と会うことはないと思っていたネパールABCの謎のカメラマンと再会。昨年のラムジュンのプロジェクトに重たいカメラ
を担いで同行し、撮影した映像はテレビで放映される、と聞いていたのだが、結局”ボツ”になったと今回聞かされた。
今回は若いカメラマンを引き連れて(?)登場。撮影は若手に任せ、彼自身は相変わらず苦虫を噛み潰したような表情のまま、
コンパクトカメラで演奏会の模様を撮影。若手カメラマンが帰った後もなぜか彼だけは居残り、演奏会後の食事会にも参加。
やっぱり彼の行動には謎が多い。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてC
同じく昨年のラムジュンのプログラムに看護師の一人として参加してくれたクマりさんとも再会(写真左端)。彼女は、昨年、横浜から
参加してくれたKさん、Mさんと会えなかったことをすごく残念がっていた。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてD
今回も曲が進むにしたがって、老人たちが踊りで参加。何人かは、昨年の演奏会でも踊ってくれた見覚えのあるご老人。
今年も昨年と変わりない元気な姿が拝見できて良かった。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてE
子供たちの演奏の後は、大人たちによるギターの演奏。これも昨年同様のプログラム。写真をクリックすると演奏会の映像
(YouTube)がご覧いただけます。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてF
演奏会の後は、これも昨年同様、軽食の配布。日本から持参した布製やナイロン製の手提げ袋に、同じく日本から持参
したハンカチサイズのタオル、ネパールで購入したりんご、バナナ2本、マンゴジュース、ビスケットを入れて入居者240人に配布。
軽食代21,310ルピー(≒21,360円)は、東京のNさん提供。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてG
配布作業には、ニランジャンの近所のお茶屋さんで偶然知り合ったFさんやビシュヌ会長がガイドしているツアーのオーストラリア人
のお客さんも参加してくれた。写真のサングラスのオーストラリアのご婦人は、こちらがあまり英語ができないと言っているのにすごく
早口で喋るのでほとんど何を言っているのかわからなかったが、我々がやっているこのプログラムが実にすばらしいと褒めてくれ
ていることだけはわかった。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてH
行列に並ぶことのできない老人たちには、我々のほうから出向いて配布。周囲の人たちにも聞きながら、一人の漏れもないように
配布する。
サンリサ孤児院にて@
旅の最終日、サンリサ孤児院を訪問。この日は土曜日のため学校はお休み。子供たちの遊びの輪に参加。
最初のうちはこちらも良かったが、一緒に遊んでいるうちに呼吸はハァハァ、膝はガクガク。最後は足腰が立たないぐらいヘロヘロ
になってしまった。
サンリサ孤児院にてA
サンリサ孤児院の隣の敷地は、現在、空き地になっており、土地所有者のご厚意で無料で使わせてもらっている。その一角に
鶏小屋を設け、ここで摂れた新鮮な卵を子供たちに食べさせているとのこと。
サンリサ孤児院にてB
さらにその隣には小さな農園が作られており、ここでニンジンやブロッコリーなど様々な野菜を育てている。これらはもちろん
収穫したものを食べるというが主目的ではあるが、子供たちに日々食している農作物がどうやって育つのかを学ぶ場を提供
することも目的のひとつであるとのこと。
サンリサ孤児院にてC
サンリサ孤児院に滞在してボランティアをする人たちのために、これまで2階の一室がゲストルームとなっていたのだが、
国の方針が変わり、ゲストルームは施設外に設けなければならないこととなった。このため、サンリサ孤児院では4〜5軒隣り
の民家の一室をゲストハウスとしてレンタル。サンリサ孤児院側で賃料を払う必要が生じ、ボランティアから1日当たり
7ドルから12ドルほどいただいてこの部屋に泊まっていただくことにしたという。ただし、サンリサ孤児院でボランティア
に対し3食提供されるので、実際のところは食事代実費負担という感じか。
サンリサ孤児院にてD
実は、この1年の間に2人の子供がサンリサ孤児院を去っていた。一人はジャワラ。ネパールの法律により、この施設に居られるのは
15歳まで。彼は16歳になったためこの施設を去り、故郷のジュムラでおじさんの家から上級の学校に通っているそうだ。
施設の事務所には彼が入所から退所までの記録がファイルされており、その最後には卒業試験を無事パスした証明書のコピーが
綴られていた。
サンリサ孤児院を去ったもう一人はジョティ。彼女はまだ10歳ぐらいだったはずだが、彼女のおじさんが引き取ったそうだ。
そのおじさんの家というのはラムジュンにあるとのこと。ラムジュンと聞いて思い出すのはスリジャナのこと。
昨年書いたように彼女もおじさんに引き取られたのだが、貧しさのため学校を中退し、14歳で祖父母の決めた相手と結婚し、
会ったときにはお腹が大きい状態であった。そのスリジャナの姿と否が応でもダブってしまう。
ジョティのおじさんからは、必ずジョティを学校に通わせるとの誓約書を取ったそうだが、スリジャナのケースもあるだけに
心配だ。彼女が故郷で日々健やかに過ごしていることを祈りたい。
写真をクリックするとジャワラと卓球をしている映像や、前歯が抜けて愛嬌たっぷりのジョティの映像(Youtube/2010年撮影)
がご覧いただけます。
サンリサ孤児院にてE
ディネシュに抱っこされている女の子は、この施設の女性従業員の子供。毎日子供を連れて通勤しているらしい。
サンリサ孤児院のアイドル的存在となっていて、子供たちの間で取り合いになっている様子。
プラやディネシュあたりがこの子を抱きかかえて階段を駆け下りてくる姿を見るとちょっとハラハラするが、女の子のほうは、
やんちゃ坊主共に抱きかかえられても全く泣くこともないし、カメラを向けると写真のようにすぐ年上の子供たちの真似を
してポーズをとるし、子供たちが「キスは?」と言えば投げキッスをするし、サービス精神旺盛ですごく可愛い。
これだけ多くのお兄ちゃん、お姉ちゃんに毎日かまって貰ってどんな子に育つのだろうか。
サンリサ孤児院にてF
飛行場へ向かう前に全員で記念撮影。ジャワラとジョティが抜けた今、サンリサ孤児院では新たに2〜3人の子供の入所手続
きを進めているそうである。次回来るときは、どんなメンバーが加わっているのか楽しみでもある。写真をクリックすると拡大します。
サンリサ孤児院にてG
サンリサ孤児院には、岐阜のIさん、東京のNさん、昨年参加のOさんに私の4名で5万ルピー(≒5万円)を寄贈。
写真は、子供たちが描いてプレゼントしてくれた絵。昨年は立派な楯をいただいたけど、これはこれでまた嬉しい。