'11ネパール編
出発の2週間前、活動の打ち合わせのためメールをやり取りしていたネパールの友人から、突然悲しい知らせ
が入った。初めてのネパール訪問でホームパーティーの招待('00ネパール編)を受けて以来、たびたびお世話に
なってきたトリヨタム・マナンダーさんが亡くなった。'09ネパール編でもお伝えしたとおり、最近は病気がちで
あったがまだ50歳にも達していなかったはず。亡くなるには若すぎる。もっともっとご一緒したかった。
トリヨタムさん以外にも、スージットのおじさんが私がネパールに到着した翌日早朝に亡くなった。
このためスージットとは、今回、ネパールを去る日に少し会えただけとなってしまった。
また、ネパール到着5時間前にはインド・シッキム地方を震源とする地震が発生。ネパールでも死者がでた。
さらにはネパールを離れた翌朝、ヒマラヤ遊覧の飛行機が墜落し、日本人を含む乗客全員が死亡という事故も発生。
この間、日本では台風が上陸。11回目のネパールは訃報、災害、事故のニュースが相次ぐ中での訪問となった。
今回の活動では、サンリサ孤児院、筋ジストロフィー・ケア・ソサエティ、パシュパティの老人ホーム、
ドルカの小学校を訪問した。ドルカはカトマンズから150キロ東方に位置する小さな町。
マオイスト(毛沢東主義派)が武装闘争を続けていた頃には、ドルカ周辺はマオイストの勢力圏で訪れることすら困難
であった地域だ。2000年に訪れたシンドパルチョークをはるかに飛び超えて、これまでで首都カトマンズから最も
離れた場所での活動となった。
○日 程:2011年9月18日〜9月23日
○主な活動先:@バグタプル市/筋ジストロフィー・ケア・ソサエティー、
Aカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール、
Bカトマンズ市/ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラム、
Cドルカ郡ドルカ/スンドラワティ小学校
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにて@
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーへは2年ぶりの訪問。まず目に付いたのが、室内各所に洗濯ばさみで吊るして
ある油絵。この2年のうちに油絵の先生から絵を習って、ここまで子供たちが書けるようになったのだそうだ。以前は、
親御さんたちが作ったポストカードに彩色したりするのが精一杯だったのだが、目覚しい進歩だ。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてA
日本から持ってきた色鉛筆、ハサミ、カッターナイフ、絵の具と筆のセット、タオル、石鹸等に加え、毎回ご協力いただ
いている東京のNさんからお預かりした現金の一部30,000ルピー(≒30,900円)を贈呈。ちなみに、今回の
レート、100円=97ルピーというのは未だかつてなかった円高・ルピー安だ。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてB
お礼に子供たちが書いた絵の中から2枚いただくことになった。会長さんは、1枚2,000〜3,000ルピーでこの
絵を売って施設の運営資金を賄いたいそうだが、売り物としては果たしてどうか。筋ジストロフィーの子供たちが書いた
ことを明かした上で売れば、買ってくれる人はいると思うが、純粋に絵の良し悪しだけで勝負するとなるとどうだろうか。
ただ、以前のポストカードよりは売れる可能性は高いと思うし、売れれば金額も大きい。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてC
お土産に選んだ油絵とそれを書いてくれた子供と一緒に撮影。
筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてD
最後に全員で記念撮影。この2年間の間に全員でインドへ遊びに行くなど、施設運営も以前に比べ余裕が生まれている様子
が感じられた訪問であった。写真をクリックすると拡大します。
サンリサ農園?
続いて、毎年恒例のサンリサ・オーファネッジ・ネパールを訪問。まず初めに話を伺ったのがこの田んぼ。サンリサ孤児
院の隣の空き地だった場所なのだが、以前はゴミが投げ込まれるなどかなり荒れた状態であった。それをサンリサのスタ
ッフや子供たちで綺麗に片付ける代わりに、用途が決まるまで無償で田んぼとして使わせてもらうことになったのだそう
だ。田んぼはもちろん無農薬。ちょうど稲穂が実りはじめ、初めての収穫はもうすぐだ。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@
子供たちとの交流の取っ掛かりは、昨年、好評だった紙でっぽう作り。一つ作ってあげると、狙い通り僕も僕もと集まっ
てきた。折り方は昨年教えてあげたのだが、誰も覚えていないみたいで、実演しながら再度折り方を説明する。
今回はラメシュはじめ何人かが一人で折れるようになったので、今度こそはマスターしただろう。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA
昨年訪問したときに、スリジャナとサンディプ姉弟が抜けた代わり新たに2人の子供を迎える予定であるとの話を聞い
ていたのだが、今回その新たに加わった二人と対面することができた。ラミタ(左)とアニシャ(右)、共に8歳の女の子
である。それぞれ6月と7月にここに来たばかりということもあり、活発な他の子供たちに比べると大人しい。
ただ、初めてサンリサの子供たらと会ったときのような表情の固さはなく、活発な他の子供たちを後ろからニコニコ
しながら眺めているのが印象的だった。クリティやジョティなど年の近い女の子とも頻繁に話をしていたので、
すぐに馴染むだろう。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB
さらにもう一匹加わったのがこの犬。このワンちゃん、とにかく人懐こい。私が来るや否や、絡む、絡む。飛びつくわ、
舐めるわでもう大変。おかげで私の着ていた白いシャツが犬の足跡だらけになってしまった。まるでサンリサ・チルドレンの
甘えん坊、クシャイやプラがもう一人(一匹)増えた感じだ。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC
今回も子供たちによる楽器の演奏を見せて貰う。ジャヤやディネシュの笛はますます上達。ジャヤなどは主旋律とは違う
旋律を演奏の中で自在に吹いてみたりとほんと素晴らしい。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてD
演奏に併せてオンチューのダンス。彼はダンスを習っているわけではなく、見よう見まねのダンスなのだが、半ばネパールの
ダンスのような半ばヒップホップダンスのような。。。いってみればオンチューのオリジナルダンスなんだけど、十分様にな
っている。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてE
子供たちと一緒に夕食をいただく。私の隣がオンチュー、その隣がクリティ。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてF
日本から持参した、タオル、石鹸、色サインペン、色鉛筆などをプレゼント。さらに、東京のNさん、岐阜のIさん
からお預かりした合計50,000ルピー(≒51,500円)を後日寄付した。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにて@
身寄りのない老人たちが暮らすソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムでは、今回、食料の差し入れを実施。
差し入れたのは、バナナ、りんご、ビスケット、インスタントラーメン。ウッタムが、施設の人たちと相談して決めたもので、
果物は普段あまり口にすることがないから、またビスケットは昼下がりのお茶の御伴として、ラーメンは老人たちだけでも
簡単に調理できるからという理由で選んだ。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてA
老人たちの人数は事前に電話で確認し、220人とのこと。全員に行き渡るよう町で購入し、タクシーで運び込んだ。
食料の購入にしめて12,711ルピー(=13,100円)を拠出。ところが実際には230人いて、あとから慌てて10
人分買いに走ることになる。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてB
食料を貰いに来なかったり来れなかった老人も大勢いて、そうした人たちにはこちらから配布して回る。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてC
このお二人も列に並ばなかった方たち。食料を渡すと、右側のおばあさんは涙ぐみながら何事か施設の人に話し始めた。
ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてD
最初から最後まで我々の配布作業を手伝ってくれた老人と記念に一枚。すっかり施設のスタッフの一人かと思い込んでいたら、
実は施設の入居者の一人だとのこと。特に列に並ばなかった人たちへの配布では、建物の奥の奥まで入って行き、まだ受け
取っていない人たちを次々探し出してくれてとても助けられた。写真をクリックすると、ソーシャル・ウェルフェア・センター
・ブリダシュラムでの活動の模様が映像(YouTube)でご覧いただけます。
チャリコットにて
ドルカの小学校へ向かう途中、この地域の中心地であるチャリコットで一泊。天気はあまり良くなかったのだが、時おり雲間
からヒマラヤの雪山が望めた。この町はカトマンズとエベレストを結ぶ線上にあるらしく、朝の7時頃にはカトマンズ方面か
らエベレスト遊覧の飛行機が次から次へと飛んできた。それを下から眺めながら、まだ遊覧機には一度も乗ったことがな
いので時間があったら一度は乗ってみたいなあなどと考えていたら、この2日後にその1機が墜落してしまった。もし今回、
あと滞在が1〜2日長く、時間に余裕があったら自分も乗っていたかもしれない。そう思うと今回の事故は他人事ではない。
写真をクリックすると拡大します。
ドルカ・ビムセンにて@
ドルカはドルカ・ビムセンというヒンドゥー教のお寺の門前町。今回、学校訪問をアレンジしてくれたラビンドラが、
せっかくここまで来たのだからお参りしていきたいというので私も同行する。2人が手に持っているのは、神様へのお供え物。
ニワトリはこのあと首を切り落とされ、頭だけがお堂に納められた。私はお堂には入らず、外から眺めていたのだが、祈祷師が
首を切断されたニワトリの胴体を外に投げ捨てたため、血を撒き散らしながら狂ったように羽ばたいたあと、動かなくなるまでの
一部始終を目にしてしまった。動かなくなるや否や、それを狙ってすかさずカラスがやってくるし、何かすごい世界です。
心臓の弱い人は、ヒンドゥー教のお寺には行かないほうがいいと思います。写真をクリックすると拡大します。
ドルカ・ビムセンにてA
そんな凄惨な光景が日々繰り返されているお堂の前では、山羊たちがのんびり仲良くひなたぼっこ。ん〜、このギャップ、
どう表現したらいいのだろうか。写真をクリックすると拡大します。
スンドラワティ小学校へ@
今回訪問するのは、ドルカ・ビムセンから山道を車で40分進んだところにあるスンドラワティ小学校。
ラビンドラがこの地方で活動しているNGOの知り合いを通じて探してくれた。カトマンズからは車をチャーターして現地へ向かう。
この車、フィアット製のセダンで革張りシートのなかなかいい車なのだが、いかんせん悪路には不向き。
ここに来るまでに何度も車の底をこすった挙げ句、ぬかるんだ道の手前で、その車ではこの先は絶対無理と
地元の人に止められてしまった。
スンドラワティ小学校へA
結局、ラビンドラが携帯で小学校と連絡を取り、荷物を取りに来てもらうことに。こんな山奥でも携帯が通じるようになったこと
に感動。ここからは歩いて小学校へ向かう。やってきたのは女性1名を含むスタッフ2名と荷物の担ぎ手2名。
こんな人数ではとても全部は運べないのではないかと心配していたら、この担ぎ手たち、華奢ながら選抜されただけあって、
恐るべきパワーの持ち主であることがすぐに判明。一人がノート350冊が入ったかごを、もう一人が鉛筆やペンケースなどの
入った大きな段ボールの上に日本から持参したカバンの入った段ボール箱を載せ、額に掛けたひも一本で担ぎ上げてしまった。
スンドラワティ小学校にて@
小学校へは歩いて15分ほどで到着。この小学校、一見すると田舎のどこにでもありそうな小学校なのだが、学校の運営や
教育プログラムが優秀であるとして国から表彰を受けたそうだ。児童の数は250人。到着時は授業中で、その模様を見せて
もらおうと各教室を周ったのだが、各教室で紹介されたりしたため結局は授業を中断させてしまうことに。
ならばと、2〜3質問を投げかけてみたりしたのだが、恥ずかしがってなかなか答えが返ってこなかった。
スンドラワティ小学校にてA
各教室を周った後は、物資を配布するため校庭に全員集合。まずは女性の校長先生が熱心に子供たちに何事か訓示(?)する。
やっぱり表彰されるような学校は、先生が熱心なのだなと思う。
スンドラワティ小学校にてB
校長先生の訓示の後、物資の配布を開始。配布したのは、鉛筆、消しゴム、定規、コンパスが入ったペンケースとノート、カバン。
ただし、カバンはもともと別の小学校で配るつもりのものだったため100個しかなく、先生と相談したら配布する児童を
選抜してくれるとのこと。結局、成績上位者に配ることになったようだ。
スンドラワティ小学校にてC
配布した物資のうち、ノートと鉛筆等の入ったペンケースは東京のNさんからお預りしたお金で購入。合わせて27,200ルピー
(≒28,000円)。またカバンも10個ほどネパールで買い足しして配布した。
スンドラワティ小学校にてD
サッカーボール(空気入れ付き)、バトミントンセットを校長先生に贈呈。これらもNさんの資金提供によるもの。
合わせて3,775ルピー(≒3,900円)。この他、日本から持参したレポート用紙、方眼紙、ボールペン、蛍光ペン、
マジック、ハサミ、カッターナイフを贈呈。
スンドラワティ小学校にてE
みんなで記念撮影。といっても全員は収まりきりません。写真をクリックすると拡大します。
スンドラワティ小学校にてF
再度全員が教室に戻った後、高学年の児童にのみ多色ボールペンと蛍光ペンを配布。写真をクリックすると、
スンドラワティ小学校での活動の模様が映像(YouTube)でご覧いただけます。
NGO事務所にて
実はスンドラワティ小学校訪問後に、もう一つ、マネダンダ小学校という学校を訪問する予定をしていたのだが、
前述のとおり、車はぬかるみに妨げられ前には進めず、また学校まで歩いて行くと片道1時間以上かかるとのこと。
すでに午後1時を過ぎており、今日中にカトマンズまで戻らなければならないことを考えると、マネダンダ小学校の
訪問は諦めざるを得ない。そこで2つの小学校を紹介してくれたNGO事務所に物資を預け、彼らの手でマネダンダ小学校へ
物資を届けていただくことにした。預けた物資は、鉛筆、ノート、ボールペン、蛍光ペン、ハサミ、カッターナイフ、
サッカーボール、バトミントンセット、レポート用紙など。
徒渉
これから5時間以上かけて帰る前にどこかで腹ごなしということで、近くの食堂を案内してもらう。
その途中、道が川の中に水没している場所に出くわす。しかもかなりの川幅。水量もけっこう多い。半分近くまでは
石の上を飛び飛び、何とか進んだのだが、その先2メートル弱ぐらいにある濡れた大きな石へ飛び移るのはどう考えても危険。
諦めて靴を脱ごうとしたそのとき、ゴム草履で水の中をバシャバシャ歩いていた車の運転手がおもむろに近づいて来て、
おんぶしてやるとのこと。この運転手、若いしちょっとヤンキー風だし、運転はけっこう飛ばすし、この日の朝、寝坊して我々
より遅れてくるし、ちょっととっつきにくいなと思っていたのだが、思わぬ厚意を受け感激。
食堂から戻るときももちろんお世話になりました。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@
ネパールを後にする日の夕方、再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールを訪問。空港へ向かうまで時間の許す限り、
子供たちと交流する。持参したトランプで”いもほり”をして遊ぶ。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA
手作りのマスクでおどけているのはクリティ。なかなかのお転婆ぶりです。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB
クリティの写真を撮ったところ、オンチューも僕のほうがもっとすごいと言わんばかりに仮面姿をアピール。
ゴースト、ゴーストと言ってまわりの子供たちも囃し立て、まんざらでもない様子。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC
最後に全員で記念撮影といきたいところだが、時間が遅かったためもう寝る準備に入った子供もいて、一部の子供たちとの
撮影となった。残ってくれたのは男の子ばっかり。どうやら自分はサンリサの女の子にはモテないらしい。
とにもかくにも、サンリサの子供たちは、今年も大変元気でした。写真をクリックすると拡大します。