'08ネパール編
現地で初の年越しとなった8回目のネパール訪問。
今回は'02、'03年とご一緒したTさんに初参加のYさんが加わり、3名での訪問となった。
景気低迷を受けて海外渡航者は大幅減とも言われていたが何の何の・・・。12月に入っても航空券の
キャンセル待ちが続き、一時は渡航を諦めかけたことも。結局12月始めのバンコクでの空港占拠事件後にようやく
バンコク経由のチケットが確保できた次第。
そこから現地での活動の段取りや、物資の取り纏めを本格化させる一方、日々変化するタイ、ネパールの情報収集にも
かなりの時間を割き、さらに勤め先では忘年会シーズンに突入、11月末にひいた風邪の後遺症も加わって、
出発前はいつもにも増して慌ただしいことになってしまった。
しかし、一時心配していたタイ情勢も影響は全くなく、結果的に今回の事件がきっかけでチケットや
ホテルの確保がスムーズに行えたことから、この事件は我々にとってプラスに作用したようである。
一方のネパールの情勢は、マオイスト(毛沢東主義派)主導による新たな政府ができたことで過去数年で最も政情が安定して
おり、人々の表情には明るさを感じたが、電力不足が深刻化し、滞在中は何と1日12時間の停電。何かあるとすぐストライキのお国柄
からしてまたスト連発かと思いきや、人々は各家庭でバッテリーを用意するなど、淡々とその状況に対処していた。
今回の活動では'01年以来7年ぶりにナルー村を訪問、デンタルキャンプと学用品等の配布を実施した。
また、昨年に続いてパシュパティナーの養老院、スージットたちが経営する孤児院、さらには筋ジストロフィーの
子供たちのための福祉施設を訪問した。
○日 程:2008年12月28日〜2009年1月1日
○主な活動先:@ナルー村/マハンカル小学校、Aカトマンズ市/老人福祉施設、Bカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール、
Cバグタプル市/筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティー・ネパール
再びナルー村へ
これまで毎年行き先を変えてきた村の小学校の訪問。その中でも、カトマンズ郊外にありながら貧しいまま捨て置かれた印象
が強く残っているのが'01年に訪問したナルー村である。以来、この村のことはずっと気にかかっていた。
7年間でナルー村は変わっただろうか。それを自らの目で確認すべく再訪を決めた。
ナルー村の小学校の児童は110人と聞いていたため、日本から持ち込んだ分かばん100個に現地で10個ほど買い足す。
街頭かばん売り(??)からカバンを1つずつ手にとって品質を確認したうえで価格交渉して購入。占めて1,000ルピー(約1,200円)。
この他、別の店で消しゴム120個、ノート60冊、サッカーボール1個(計1,594ルピー)を購入。さらに村で配布する歯ブラシ、
ペーストも購入。
ナルー村への道@
前回は、途中から道が全く舗装されておらず、深いわだちの中を走ったときに車の底が擦ってオイル漏れを起こしたのだが、
今回は道の大部分が舗装されており、拍子抜けするほどスムーズに村の近くまで到着。しかし、川の手前で車を降りて
村まで歩くのは前回と同じ。川にかかっているぼろぼろの石橋も7年前と変わっていない。
車のチャーター代6,500ルピー(ガソリン代込み、約7,600円)。
ナルー村への道A
村まで荷物を分担して運ぶ。一部は村の小学校からも取りに来てもらい運んでもらった。
途中、前回はなかった真新しい金属製の吊り橋の下を通り抜ける。また、車が通行可能な道路の建設が進んでおり、
近々村まで車道が通じるようである。途中からは河原を上がって、その建設中の石ころだらけの道を歩いた。
ナルーにて@
目的地のナルー村・マハンカル小学校に到着すると、まず“歓迎”と貼り紙がされた手作りのゲートが目に飛び込んできた。
ここまでの道のりには7年前からかなりの変化が見られたが、この学校の校舎や校庭は以前のままだ。
(7年前の模様は'01ネパール編をご覧ください。)
ナルー村にてA
ゲートを通り抜けると子供たちがマリーゴールドの花輪を持って我々日本人3人に殺到。約100人の子供たちが次々と首に掛けてくるので
”菊人形”ならぬ”マリーゴールド人間”と化す。
ナルー村にてB
日本側を代表して最年長のTさんに挨拶していただく。前回の訪問では、制服を着ていない子供が半数近くいたのだが、今回は数人しかいなかった。
また、裸足の子供は今回は一人もおらず、服装から判断するにこの7年で多少は生活レベルが向上したのではないかと思われる。
ナルー村にてC
続いて、いつものようにスージットの友人の歯科医によるデンタルキャンプを開始する。実際の児童の数は、
聞いていたより若干少なく100名弱であったが、1人で全員を診るので大変だ。
ナルー村にてD
歯を診てもらう順番を待つ子供たち。中で何が行われているのか気になるようだ。
ナルー村にてE
歯の診察・治療が済んだ子供には歯ブラシとペーストを手渡す。子供たちは少し恥ずかしそうに手を合わせて「ナマステ」
と一言。写真をクリックすると拡大します。
ナルー村にてF
デンタルキャンプの後は、我々が持ち込んだ鉛筆、ボールペン(黒、赤)、消しゴム、ノートを全員に配布する。
ナルー村にてG
続いて、カバンを全員に配布。筆箱、タオル、石鹸、衣類は全員分はなかったのだが、配布したカバンに品質のバラつきがあるので、
それとのバランスを考慮しつつ配布。写真をクリックすると拡大します。
ナルー村にてH
学校には、カバンやノート、鉛筆、ボールペン、消しゴムの残りと、サインペン、マジック、レポート用紙、スケッチブック、ファイル、
はさみ、カッターナイフ、鉛筆削り、B紙、世界地図、サッカーボールなどを寄贈した。代表して校長先生に受け取っていただく。
校長先生からは、この学校が様々な問題を抱えており、引き続き支援をお願いしたいという主旨のネパール語で書かれた手紙を
受け取った。
ナルー村にてI
最後に全員で写真撮影。実はこの学校の校舎は、すでに校舎手前まで工事が進んでいる道路の延長上にあるため、
近々、川を挟んだ対岸に移転することになっているのだそうだ。視線を川の対岸に向けると新校舎の外観がほぼ出来上がっていた。
もし再々度来ることがあれば、この学校も村の景色や人々の暮らしぶりも大きく変わっていることだろう。
写真をクリックすると拡大します。
子豚の群れ
ナルー村から車まで戻る間の1コマ。放牧中の子豚の群れと出会う。ネパールの山間部で放牧されている家畜といえば
山羊であることが多いのだが、ここでは豚であった。これも大都会カトマンズの食生活が変わりつつあることの影響なのだろうか。
それにしても子豚たちの食欲はすさまじく、ただひたすらに草を喰らいつつ去っていった。
行く手を塞ぐトラック
ここまで順調すぎるくらい順調であったナルー村の訪問。が、車に乗って帰ろうとしたところでトラブル発生。前方の緑色のおんぼろトラック、
何と道路を塞ぐように真横に止まったまま故障してしまったとのこと。後ろから皆で力を合わせて押してみたりしたのだがびくともせず。。。
エンジンはかかるものの、その動力が駆動輪にうまく伝わらないようだ。ドライバーが運転席の下を開け、
バールのようなものでガンガンたたいて修理する。待つこと約50分、奇跡的(?)に故障が直りトラックが動いた。
ちなみにこの場所は、7年前にもチャーターした車がオイル漏れを起こし、無事帰れるかどうか気を揉んだ場所でもある。
トラックが直るまでの間ニランジャンたちに、日本語に「鬼門」という言葉があることやその意味を説明したりしながら気長に待った。
養老院にて@
毎回のように訪問しているパシュパティナートの養老院。訪問時はちょうど朝食が配られている最中であった。
養老院にてA
広場には老人たちに囲まれて、身なりの良い家族連れが椅子に座っていた。聞くところでは、今日の朝食はこの家族の寄付により提供されたもの
なのだそうだ。ご飯におかず、ダル(豆)スープも付いており、これを100食分以上用意したことになるので、かなりの額になるのではない
かと思われる。
養老院にてB
養老院の代表者に日本から持参した物資と現金を寄贈する。寄贈したのは、タオル、石鹸、冬物衣料などのほか、9月に他界した私の父が使い残
した紙おむつや防水シーツ。使用方法を説明し、快く受け取っていただく。現金の寄付は昨年からシステムが変わり、たとえ1ルピーであってもこの場
でそのまま受け取ることができず、銀行口座に入金するか、表にある鍵付きの寄付金箱に入れるよう国から指導されているとのこと。
受け取った人がネコババするのを防止する措置で、国の認可を受けている施設にはすべて適用されているそうだ。なので、現金だけは口座を教え
てもらって、後刻振り込むこととした。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@
昨年に続いて、スージットが副会長を務める孤児院を訪問。孤児院は、昨年の場所から少し北にある一軒家に引っ越していた。
”孤児院は独立した一つの建物で運営されるべき”という役所からの指導に基づいて引っ越したとのこと。
そういえば昨年の建物では、1階に全く別の家族も住んでいた。もちろん、建物を買い取るまでの資力はまだなく、
家賃を払って借りている。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA
孤児院の2階の屋根には真新しいタンクとソーラーパネルが。これはカナダ人の支援者が寄付したものだそうだ。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB
さらに目を引いたのがこのソーラークッカー。太陽光の反射光を真ん中の鍋の底に当てて鍋を暖めるというもの。
これはスイス人の支援者がスイスからはるばる持ってきたものだそうだ。天気が良ければちゃんとご飯も炊けるという。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC
この施設の会長(写真右)と副会長のスージット(写真左)に、日本から持参した衣類、カバン、鉛筆、ノート、
消しゴム、サインペン、マジック、櫛、タオル、石鹸等を手渡す。また、3年前より毎回ご支援いただいている東京在住のNさんから
お預かりしたお金30,000ルピー(約36,000円)と、同行のTさんからの15,000ルピー(約18,000円)
を手渡そうとしたのだが、先ほどの養老院と同じくこの施設も国の認可を受けているので、
寄付金は銀行口座に振り込まなければならないとのこと。よってこちらも後刻振り込むこととする。
ちなみに併せた45,000ルピーはこの建物の3ヵ月分の家賃に相当するそうだ。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてD
下の階に下り、子供たちとの交流のひと時を持つ。子供たちの英語による自己紹介に続いて、我々も簡単な英語で自己紹介する。
見覚えのある顔に新たな顔も加わり、子供の数は15人ほどに増えていた。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてE
日本から持参したおもちゃなどを配布。亀のぬいぐるみ、ミニカー、ヨーヨー、風船、トランプ、ポストカード、シールなど。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてF
おもちゃを使ってしばらくの間いっしょにお遊び。私は、長細い風船をねじって動物の形を作ろうとしたのだが
なかなか形にならず悪戦苦闘。でも、子供たちが本当に子供らしい表情を見せてくれたので良かった。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてG
全員で記念撮影。昨年と比べ、子供たちの表情が明るく元気になったように思う。そのことは将来へ向けての何よりの希望だ。
写真をクリックすると拡大します。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてH
今回も最後に子供たちが代わる代わる歌と踊りで我々をもてなしてくれた。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてI
子供たちの屈託のない明るい歌声と思い思いの踊りを見ていると、ここが孤児院であったことを忘れてしまう。
写真をクリックするとYさん撮影の動画をご覧いただけます。
踊っている子の動きだけでなく、子供たちの歌声もお聞きください。
サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてJ
昨年は私に向かって「お父さん」と言った以外はほとんど喋らず、元気のなかったオンチューも、今年は元気に踊ってくれました。
写真をクリックするとYさん撮影の動画をご覧いただけます。オンチューは、我々が持ってきた亀のぬいぐるみが余程気にいったのか、
踊りの最中もずっと手に持ったままです。また、映像で登場するスリジャナも今年はめがねをかけて、すっかりしっかり者のみんなのお姉さん
といった感じが出てきました。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@
孤児院に忘れ物をしてしまったため、翌日スージットのバイクに乗せてもらって2人で取りに行く。
訪問時はちょうどカナダ人の女性ボランティアが子供たちにテーブルを囲んで英語を教えていた(写真後方)のだが、
年少の男の子たちはこれに参加せずに退屈していたらしく、私の姿を見つけると駆け寄って手を引っ張り、屋上まで案内してくれた。
再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA
せっかくの訪問なので、日本から持参した”柿の種”と途中で購入したロールケーキをお土産として持参。
子供たちもすぐに何かを察したらしく、私が持っている大きなビニール袋を指差して「これは何か」と質問。
私が「スイーツだ」と答えると、子供たちは大興奮。入れ替わり立ち代わりビニール袋を突つき出したので、
何とかそれから逃れようとする私と揉み合いになる。この写真はそのもみ合いのさ中に撮影した1枚。
なかなかのやんちゃ顔でしょう?
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにて@
最後のプログラムは、これも通算3度目となる筋ジストロフィー症の子供たちのための福祉施設訪問。
訪問すると、昨年同様子供たちは静かにバスケットボールをやっていた。これもトレーニングのプログラムの一つなのだろう。
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてA
施設の内部は昨年と大きく変わったところはないが、トレーニングのための道具が若干増えた様子。また、写真にはないが、
ドイツ人のボランティアが壁面に大きなヒマラヤ山脈の絵を描いたり、施設で販売している商品として紙製品に加え、
毛糸の帽子、手袋なども新たに始めた点などが昨年からの変化といえば変化であった。
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてB
施設には、日本から持参したスケッチブック、絵の具セット、マジック、サインペンなどを寄贈。
また、東京のNさんからお預かりしたお金の残金として10,000ルピーもお渡しする。
実はこれは今年、ネパールルピーに対し円がかつてないほど強くなっており、サン・リサ孤児院には昨年と同額の3万ルピー
をお渡ししたのだが、なお1万ルピー相当額が余ったためにこの施設に寄付することにしたものである。
この施設は政府の認可を受けたものではないため、現金はその場で受け取っていただき、
領収書とNさんへのお礼状を書いていただいた。
筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてC
全員で記念撮影。子供たちは、昨年から一人も欠けることなく全員が元気でこの1年間過ごせたそうである。
「また来年も元気で会いましょう。」皆に最後そう伝えて施設を後にした。写真をクリックすると拡大します。
大晦日の夕日
すべてのプログラムを終えた後は、初日の出を拝むべくニランジャン、ウッタム、スージットらと6人でカトマンズ盆地の
外輪山の東端、ナガルコットのロッジに1泊。天気が良ければ初日の出と赤く照らし出されたヒマラヤ山脈が見られるはずなのだが、
残念ながら雲と深い霧に覆われて叶わず。代わりにカトマンズ盆地の西の彼方に沈む大晦日の夕日を載せてみました。
カトマンズの街の向こう側、40〜50キロ西方の外輪山の向こうに、太陽の下の部分が隠れつつあるのがお分かりいただけるでしょうか?
空港にて
ナガルコットからは直接空港に向かい、ネパール側3人とお別れ。最後に余った4,500ルピーをスージットの
デンタルキャンプのために使っていただくべく寄贈する。
私自身にとって辛い出来事もあった2008年だったが、ネパールに来てニランジャンらおなじみのメンバーや、
村の小学校と孤児院の子供たちの笑顔に出会い、元気をもらった5日間であった。