'06ネパール編

 6回目となるネパール訪問。今回も同行者はなく単独行となった。今年4月の流血デモをきっかけに国王が権力を手放し、 平和が戻ったかに思われたネパール。 しかし、マオイスト(毛沢東主義派)と既存政党間での話し合いは未だついておらず、また警察権力の介入が無くなったことにより、 かえって無秩序なデモが横行するなど、依然この国の不安定さは解消されていない。 滞在中もデモがあるとの噂が毎日のように流れ、実際マオイストの集会がカトマンズの中心で開かれたが幸いにも活動に影響はなかった。 余談だが、ネパール滞在中に経由地のバンコクでクーデターが発生し、 帰りのフライトがキャンセルになりはしないかと一時心配したが、それは杞憂に終った。

 今回も、ネパール人歯科医たちによる歯の無料治療(デンタルキャンプ)とのコラボレート、日の出日本語学校の校長先生らが運営する孤児院の再訪と 子供たちの遊園地への招待、身寄りのない老人たちが暮らす施設への物資や資金の提供、さらにはストリートチルドレンへの食事の提供を行った。

○日   程:2006年9月17日〜9月21日
○主な活動先:@カトマンズ市/ニュー・チルドレンズ・ホーム、Aカトマンズ市/シェリー・ディセイブルド・ヘルプレス・サービス・アソシエイションが 運営する孤児院、Bカトマンズ市/老人福祉施設、Cパタン市/路上など


ニュー・チルドレンズ・ホームにて@

今回、初めて訪問したニュー・チルドレンズ・ホームは、4年前にこの国の20代、30代の若者数人により設立された孤児院である。 カトマンズ市内、外国人旅行者で賑わうタメル地区から西へわずか徒歩15分ほどのところにあるのだが、その賑わいがウソのように、孤児院は汚れた川のほとりに ひっそりと建っている。(写真右端が川、未舗装の道を挟んで左側にあるのが孤児院)そんな場所にあるにも関わらず、飲み水はタンクに汲み上げた地下水に頼っており 衛生面が気がかりだ。写真をクリックすると拡大します。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてA

ゲートを開けて一歩中に入ると子供たちの洗濯物が出迎えてくれた。現在、2歳から17歳まで45人の子供が生活しており、洗濯物の量も半端ではない。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてB

この孤児院は特定のスポンサーがないため、経済的に大変苦しい状況下にあるとのこと。 そのことは、老朽化した建物や何も物がない状況を見れば容易に想像がつく。炊事にはプロパンガスを買うお金がないため、 薪を使っているそうだ。電気は来ているものの、3ヵ月分滞納中とのこと。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてC

早速、スージットたちによるデンタルキャンプを開始する。前回までのデンタルキャンプでは、虫歯が見つかると即抜歯というケースが多かったのだが、 今回はひどい虫歯でない限り抜歯はせず、診断書を書いて改めて彼らの歯科医院まで来るよう指示していた。 これは、この施設が街の中心部にあることで、歯科医院まで来てもらうことが可能だからだそうだ。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてD

どんなことが行われるのか子供たちも興味津々の様子。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてE

最後に、スージットたちが子供たち一人一人に歯みがきセットを手渡す。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてF

正しい歯の磨き方を説明した後、「わかりましたかー」の問いかけに「はーい」と答える子供たち。写真をクリックすると拡大します。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてG

デンタルキャンプに続いて日本から持参した物資を配布する。いつものように、これらの物資は多くの日本人がネパールの子供たちのために提供してくれた ものであることを説明し、「一生懸命勉強して将来は人の役に立つ大人になって欲しい、その一助になれば幸いです。」と子供たちに伝えた。


ニュー・チルドレンズ・ホームにてH

鉛筆、消しゴム、ボールペン、ノート、定規。それにカトマンズで買ったビスケットを子供たち一人一人に配布した。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてI

子供たちの代表に日本から持参した縄跳びとゴムボール、それにネパールで買ったサッカーボールを手渡した。配布を終えてこの施設の会長と談話している ときに教えてもらったのだが、この施設の子供たちのチームがサッカー大会(どういう大会なのかかは不明)で2位になったそうで、その銀メダルを見せてくれた。 彼らにサッカーボールを渡すと施設内で早速サッカーが始まったのだが、ボールの奪い合いがとても激しく、これではボールも長持ちしないのではないかと 思うと同時に、この激しさで2位になれたのだろうと納得した。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてJ

この他、この施設の会長に、鉛筆、ボールペン、ノートの余りと鉛筆削り(1個)、タオル(10枚)、石鹸(7個)、カバン、ファイルなどを手渡した。 また、10,000(約15,000円)ルピーの資金提供を申し出たところ、滞納している電気代5,422ルピーの支払いと、プロパンガスの購入に充てたい との申し出があった。それでもなお2,000ルピーほど余るため、シーツ(45枚)、コップ(45個)、鍋(1個)、フライパン(1個)、バケツ(2個) を購入し、2日後に再度この孤児院を訪問して届けた。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてK

早速、近くの店でプロパンガスを購入する。値段は2個で1,800ルピー(2,700円)。ガスの運び手として付いてきた子供たちは、 プロパンガスを手にするや否や、ガスボンベを持って一目散に施設へと駆けて行った。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてL

ベッドの数が少ないため、1つのベットに小さい子供は3人で、大きい子供は2人で寝ているそうだ。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてM

この施設の子供たちは、公立学校ではなく私立学校に通っているそうだが学費が払えず、現在9,000ルピーを滞納しているという。 公立学校に通えば学費の苦労はしなくて済むのだが。その点を会長に聞くと私立学校が近くにあり、また良い教育が受けられるので 通わせているとの回答だった。学費といい、45人もの子供を預っていることといい、正直言って、かなり無理しているなあという印象。 でも、若き経営者たちのこの孤児院を語る熱い言葉に、どこかすがすがしさを感じたのも事実。翻って、私のこれまでのあらゆる行動は、 ややもすると行動前に想定した結果の枠内に止まってしまっていたのではないかと反省したりもする。写真をクリックすると拡大します。

ニュー・チルドレンズ・ホームにてN

最後に全員で記念撮影。男の子の多くが坊主頭なのは、この施設に立ち寄ったロシア人がバリカンを寄付してくれたから。 この施設1年分の賃料も、この施設を訪れたフランス人が支払ったそうだ。それより問題なのは、カトマンズ市からこの場所からの立ち退き を求められていること。これだけは私にもどうすることもできない。困難な状況だけど頑張ってこの孤児院を続けて下さいと言うしかなかった。 この孤児院も今後継続して見守っていこうと思う。写真をクリックすると拡大します。

孤児院(SHREE DISABLED HELPLESS SERVICE ASSOCIATION)にて@

3年前から支援を続けている孤児院再訪。今年も孤児院の場所が変わっていて、今年はご覧のような綺麗な建物に引っ越していた。 もちろんこの建物を建てたわけではなく、1階だけを間借りしているのだけど。それでも昨年までからすると大変な進歩である。 2階より上は旅館なのだそうだ。去年の建物は、昨年購入したミシンを使っての裁縫の訓練場として使用しているとのこと。

孤児院(SHREE DISABLED HELPLESS SERVICE ASSOCIATION)にてA

今回も多くの方々のご好意により、たくさんの物資を寄贈することができた。東京在住のNさんからお預かりしたお金で米150キロ、豆10キロ、 食用油1リットル、プロパンガス1個、シーツ、枕カバー、布、ウレタンマット、ビスケットなどを購入したほか、余ったお金を当面の運営資金として寄付した。 また、私の職場の方々をはじめ、日本各地のこのサイトをご覧になった方々からご寄付いただいた ノート、鉛筆、サインペン、ボールペン、タオル、石鹸、布等を届けた。写真をクリックすると拡大します。

孤児院(SHREE DISABLED HELPLESS SERVICE ASSOCIATION)にてB

子供たちの顔ぶれも昨年とは大きく変わっていたが、特に気になったのが体に障害のある女の子だ。 生まれつき手足が短く、脚はあぐらをかいたような状態でまっすぐに伸ばすことができない。そんな状態のまま膝で前進・後退をする。 膝が擦れて痛かろうとも思うが、それはもう慣れてしまっているようだ。体は小さいが年齢は13歳。今回寄贈したウレタンマットは、 施設の床がタイル地のためお腹が冷えるからとのことで、孤児院の会長さんの要望で購入したものである。写真をクリックすると拡大します。

遊園地へ

昨年の動物園に続いて、今年は子供たちを遊園地に招待することにした。去年の反省を踏まえ、今年はワゴン車を手配する、とここまでは良かったのだが、 孤児院から表の道路に出るのに大苦戦。道が狭すぎて角を曲がることができない。通りがかりの人にも力を貸してもらって、何と車の後部を持ち上げ、 後輪の位置を20cmぐらい横にずらして何とか脱出できた。実はここに来るまでにも理解しがたい出来事が。 朝9時に手配してあった車が故障のため11時過ぎまで来ず、また孤児院の会長さんからは、子供3人がお寺の高僧の誕生日の食事会 に前夜から招待されたまま帰ってこないとの電話があり・・・。ネパールならではの“何とかなるさ”的見込みの甘さに、もう慣れたはずの私も思わずため息が出る。 結局お寺に行っていた子供のうち1人は、どうしても食事をしていってくれと引き止められ、遊園地行きに参加することができなかった。

遊園地にて@

カトマンズ中心部にあるLYAYAMHA PUCHA CHILDREN'S PARKへは孤児院からそう遠くはないのだが、途中、交通渋滞に巻き込まれたうえ、 以前はここにあったはずという入場ゲートが閉鎖されていたため現場で右往左往し、到着までに1時間近くかかってしまった。

遊園地にてA

到着が既に昼過ぎだったため、1つ乗り物を乗っただけで昼食となった。昼食はパタンの街の店で買ったパンを持参。 ここで孤児院のスタッフを紹介。写真左端の白い服の男性が孤児院の会長さん。初めて出会った2年前はその風貌からおっかなそうな人かと 思ったが、とても陽気で少しおっちょこちょいな愛すベきおじさんだ。子供たちの食事や身の回りの世話を引き受けているのが、 中央のトイレットペーパーを持った女性。その隣の白い服の若い女性は、子供たちのいわば家庭教師。体に障害を持つ女の子は学校に通うことができないため、 他の子供たちが学校に行っている間にその女の子にマンツーマンで勉強を教え、子供たちが学校から帰った後は、宿題を見てあげたりしているそうだ。 写真をクリックすると拡大します。

遊園地にてB

遊園地の遊具はシンプルなものばかり。唯一バイキング船があった以外、絶叫マシーンなどは皆無。私はそのバイキング船に乗りたかったのだが、 それを言ったら子供たちに却下されてしまった。どの遊具も一人20ルピー(約30円)から25ルピーを支払ってチケットを買い乗車する。

遊園地にてC

園内を一周するミニSLにも乗りました。

遊園地にてD

エアープレーンのチケットを買おうと200ルピーを出すと、同行のトリヨタム氏が「全部で100ルピーでいいです。」と言う。 どうやら交渉が成立したらしい。こんな交渉が成立するのもネパールならでは。このエアープレーン、動力源は何と人力。 お兄さんが台に登って、エアプレーンの翼を一機ずつ後ろ蹴りして動かしている。写真をクリックすると拡大します。

遊園地にてE

この乗り物も動力源は人力。お兄さん(写真後方)が船に乗って、片足で周囲の地面を蹴りながら動かしている。

遊園地にてF

遊園地内では、会長さんと家庭教師の女性が代わる代わる体の不自由な女の子を抱きかかえて移動していた。その姿には本当に頭が下がる。 帰路では、タイヤがパンクするというアクシデントが発生。最後までトラブル続きであったが、子供たちの笑顔を見てすべての苦労は洗い流される思いだった。 写真をクリックすると拡大します。

養老院にて@

パシュパティにある養老院を訪問するのは2001年以来、5年ぶり3度目。 施設などは特に以前と変わったところはないが、プロの写真家が撮影したものと思われる老人たちの写真パネルが何枚も飾ってあった。 写真をクリックすると拡大します。

養老院にてA

心身ともに健康な老人たちは、施設内を掃除したり、洗濯を手伝ったりと様々な仕事をこなす。この写真は、老人たちが綿から糸を紡いでいるところ。 紡いだ糸は外で売って現金に替えているそうだ。

養老院にてB

残念ながら、ここにいる老人全員(230人)に配布するだけの物資を日本から持ってくることができなかったので、 ビスケット1袋とバナナ2本を全員に配ることにした。

養老院にてC

集合の合図の鐘を鳴らして、老人たちに中庭に集まってもらったのだが、建物から出てこない老人もいて、 1人の漏れもないよう建物の中でも配り続ける。眠ったままの人には、サンタクロースのように枕元に置いていく。

養老院にてD

施設の責任者の方に、日本から持参した女性用パジャマ上下15着、石鹸8個、タオル10枚を寄贈する。このパジャマは、 数年前に私の叔母(母の妹)が亡くなった際に、母が遺品の中から新品のパジャマを数多く見つけ、「もったいない」と言って引き取ったもの。 その母も今年2月に他界してしまったため結局そのほとんどが一度も袖を通すことなく残ってしまった。 そこで母の“もったいない精神”を私が受け継ぎ、この施設の老人たちに使っていただくことにした。

養老院にてE

施設内には医師も常駐しているが、薬品棚に薬品はほとんどなかった。 満足な量の薬を買うには程遠いが、一助になればと4,000ルピー(6,000円)を寄付した。

養老院にてF

我々が配布を終えた後も、中庭に集まった老人たちの語らいは続く。外の喧騒がウソのようにここでは時がゆったりと流れている。写真をクリックすると拡大します。

ストリートチルドレンとの出会い@

昨年、ストリートチルドレンと出会った場所で、帰国前夜に子供たちと会うことができた。 この2日前にもこの場所でストリートチルドレンと会ったのだが、その時の子供たちは皆、体が大きかったうえ、暗闇の中で数人がシンナーを吸っていたため、 声をかけるのを躊躇してしまった。それでもスージットが「食事はしたか」と声をかけたのだが、「した」との回答だったので接触を諦めたのだった。 この日いたのはまた別の子供たちで、「食事をしたか」と声をかけると「食べていない」とのことだったので、早速近くの食堂へ連れて行くことにした。

ストリートチルドレンとの出会いA

食堂へ連れていった5人のうち、体はこの子供が一番小さいのだが、トレーに誰よりも多く山盛りのご飯を盛りつけてもらった。 最後はご飯が喉を通らず苦しそうな様子だったが、一生懸命食べて見事完食した。

ストリートチルドレンとの出会いB

食事が済んだ後、昨年のように子供たちからいろいろ話しを聞かせてもらおうと思ったのだが、食事中に何枚も写真を撮ったのが気に入らないのか、 我々に対し心を開いてくれる様子がない。決して興味本位で彼らと接触したわけではないのだが。これ以上話すと彼らを傷つけることにもなりかねないので 引き上げることにした。それでも名前と年齢、出身地だけは明かしてくれた。右端の帽子をかぶっているのがビノー・ダタパ(14歳・ポカラ出身)、 手前の黄色いノースリーブのシャツを着たのがディピス・パハディ(10歳・ゴダワリ出身)、その奥で座っているのがサニ・パッタライ(16歳・イラム出身)、 この写真には写っていないが他にギッサール・ラマ(13歳・イラム出身)、ビッサール・パリアル(13歳・ナラヤンガード出身)。 写真をクリックすると拡大します。

ストリートチルドレンとの出会いC

ニランジャンの家へ帰ろうと歩き出すと、隣りの商店のシャッターの前で、一人ひざを抱え座り込んでいる少年を発見。 「食事はしたのか」と話し掛けると「まだ」とのこと。「ごちそうするから食堂へ行こう。」と言うと「体の具合が悪いので食堂には行きたくない。」 という。そこで、食堂で食事をテイクアウト(といってもビニール袋に放り込んだだけ。)して食べてもらうことにした。彼の名前はモニカ・ラマ(16歳・タラン出身)。 向かって右側の少年がビッサール。後から写真で彼の姿を見て思ったのだが、Tシャツに短パンではこの日の夜を明かすには寒すぎる。 この日は夕立があり、気温は20度を下回っていただろう。自分の着る物でも取りに帰って彼にあげればよかったと後になって思う。 今となっては、この夜の寒さで彼の体調がさらに悪化していないことを祈るしかない。写真をクリックすると拡大します。

CDVO−NEPAL

ニランジャン、ウッタム、スージットが中心となって設立したNGO「CHILD DEVELOPMENT VOLUNTEER ORGANIZATION-NEPAL」の活動のために40ドルを寄贈した。 彼らとは、今後の活動方針やPR活動のあり方、さらには40ドルの使い道などを酒を酌み交わしながら率直に語り合った。

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