'05ネパール編

 5回目のネパール訪問は、前回に続いての単独行。今回は、国王の政権掌握以降ストライキが禁じられたため、過去に度々スケジュール変更を強いられ、悩みの種だったゼネストもなく、順調にスケジュールをこなすことができた。

 今回の活動は恒例となった、ネパール人歯科医たちによる歯の無料治療(デンタルキャンプ)とのコラボレートと、筋ジストロフィー症の子供たちの施設の初訪問、昨年に続いての日の出日本語学校の校長先生らが運営する孤児院の再訪と 子供たちの動物園への招待、ストリートチルドレンとの交流など。

 孤児院の子供たちやストリートチルドレンたちの笑顔に元気をもらった。

○日   程:2005年9月18日〜9月22日
○主な活動先:@バグタプル市/ウダヤ小学校、Aバグタプル市/筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティー・ネパール、Bシェリー・ディセイブルド・ヘルプレス・サービス・アソシエイションが運営する孤児院訪問など


ウダヤ小学校にて@

今回、訪問したウダヤ小学校は、カトマンズの東、約10キロにある古都バグタプルの町の真中にある。これまで訪問してきた学校と異なり、住宅街や商店の並ぶ街の一角にある小学校であるが、校舎は老朽化が進み、 特にトイレを始めとした水周りはかなり傷みが激しい。40年ほど前に、ドイツのNGOが土地を取得し、ネパールの援助機関によって校舎が建てられた。運営は国が行っている。 一般にネパールでは私立より国立の小学校のほうが教育環境も悪く教育水準も低い。

ウダヤ小学校にてA

低学年の教室はご覧のとおり。机がなく、子供たちは床にむしろを敷いて、その上に座り込んで授業を受けている。児童一人一人は皆、教科書も筆記具もカバンも持っており、 その点だけは田舎の小学生よりは恵まれていると言える。写真をクリックすると拡大します。

ウダヤ小学校にてB

高学年の教室には机があるが、肩を寄せ合って授業を受けているという印象。学年の数ほど教室がないため、 2学年程度が一つの教室で学んでいる。写真をクリックすると拡大します。

ウダヤ小学校にてC

まず始めに、デンタルキャンプを実施。歯の診察、治療に先立ち、子供たちに歯を磨かないとどうなるかを説明したあと、 歯の磨き方を指導する。回を重ねるごとに彼らの仕事のやり方もだんだん洗練されてきた。

ウダヤ小学校にてD

続いて、ネパール人歯科医たちのボランティアによる歯の無料診察・治療プログラムを実施。児童30人を二人の医師が順次見ていく。 いつも直接歯の診察・治療を行っていたスージットは、今回は彼の歯科医院で働いている二人の医師のサポート役に回った。

ウダヤ小学校にてE

児童たちの後には、このプログラムを聞きつけて集まってきた大人の人たちも治療する。

ウダヤ小学校にてF

デンタルキャンプが終了した後、女の子たちが歌と踊りを披露してくれた。みんな少し照れながらも一生懸命歌い、踊ってくれた。

ウダヤ小学校にてG

続いて日本から持参した文房具類を配布する。配布に先立ち、一言挨拶を求められたので、これらの物資は多くの日本人がネパールの子供たちのために提供してくれたものであることを説明し、 一生懸命勉強して将来は人の役に立つ大人になって欲しいと伝えた。
最後尾にいる黒いシャツを着た男性も実は児童の一人。彼は小学校を中退した後働いていたが、どうしても勉強を続けたく、17歳になった今、この小学校の4年生に編入して勉強しながら、 夜は働いているという。写真をクリックすると拡大します。

ウダヤ小学校にてH

まず最初に配布したのは鉛筆。そして消しゴム、ボールペンと配布した。

ウダヤ小学校にてI

他には、ノート、カバンを配布した。

ウダヤ小学校にてJ

この日二人の児童が欠席していると聞き、彼らの分と先生たちにも使っていただく分を、校長先生に手渡しした。

ウダヤ小学校にてK

最後に、みんなで記念撮影。写真をクリックすると拡大します。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにて@

筋ジストロフィー症の子供たちのケアをする施設の支援を二ランジャンが始めたと聞き、彼の提案で今回訪問することとなった。 先ほどの小学校から歩いて10分ぐらいのところにある。この施設では、日中のみ子供を預り、教育やコンピュータなど各種 技術訓練を施している。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてA

この施設の会長に5,000ルピーを贈呈。会長の子供も筋ジストロフィー症を患っているという。 筋ジストロフィーの子供たちをケアする施設がこの国にはなかったため、自ら施設を立ち上げ、 運営することを思い立ったそうだ。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてB

その他、日本から持参した、鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノート、石鹸、タオル、古着なども贈呈。 しかし、この施設の子供たちはみんな元気がなく、私が物資を配布してもほとんど反応がない。 友人の一人が、日本の踊りでも披露したらみんな元気が出るんじゃないかと私に言ってきたが、残念ながら踊りの心得がないためそれもかなわず。 今度来る機会があれば、市販の手品セットでも持参して、即席の手品でも披露しようかなと思った次第。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてC

施設のとなりには工房があり、この施設に通う子供の親たちが中心になって、手帳や写真立てなど主に紙を素材に様々な品物を作っている。ここで作ったものを売って得たお金は 施設の運営に充てられている。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてD

工房のとなりには販売コーナーが設けられている。商品は手作り感があって、その点は良いのだが、正直言ってこれを売っていこうというのは厳しいと感じた。 施設を救済したいという意思のある人なら買ってくれるかもしれないが、純粋なビジネスとして見たとき、果たして買ってくれる人がどれほどいるだろうか。 ここでしか手に入らないオリジナリティーあふれる商品を作ることが重要ではないかとアドバイスした。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティE

この施設も、経営面では苦しい状態が続いている。教育や技術を身に付けさせるための講師はボランティアではなく、すべて謝礼を払っているそうだ。 日本との交流を希望しており、以前、東京にある同様の施設にメールを送ったが、返事は未だ来ていないそうだ。写真をクリックすると拡大します。

孤児院へ

3つ目のプログラムは、昨年も訪問した孤児院の再訪。昨年訪問した際の窮状をこのホームページでお伝えしたところ、東京にお住まいのNさんから資金提供の申し出を頂いた。 今回、その資金を持ってネパールへ渡り、ミシンを5台購入して孤児院に届けることとなった。このミシンを使用して以前のように(詳しくは04ネパール編を参照)周辺住民らに様々な製品を作って もらい市場などで売って、その代金の一部を孤児院の運営に充てる。ミシンの寄付は孤児院の経済的自立へ向けての第一歩である。 とはいえ、まずは講師を雇ってミシンを使いこなせるよう訓練を施さなければならない。

孤児院にて@

まずはミシンの贈呈式(らしき事)。実際に買う段になって予算オーバーが生じ、資金をさらに追加したものの、椅子の購入資金が足りない(というより当初から椅子を買うということが考えになかった) という事態になった。このようなことはネパール人と仕事をすると良くあること。当面、椅子だけはあり合わせのものを使ってもらうことに。写真をクリックすると拡大します。

孤児院にてA

続いて日本で集めた物資を贈呈した。贈ったものは、鉛筆、ボールペン、ノート、消しゴム、カバン、タオル、石鹸、歯ブラシ、古着など。今回は一人だけでの訪問だったため、あまり多くの物資 を運ぶことができなかったが、できるだけ自分の荷物を削り、飛行機に乗る際は、本来は機内預かり荷物は20キロまでのところを23キロまで追加料金なしにまけてもらった。

孤児院にてB

まるで去年の写真をそのまま転載したような1枚。孤児院はこの1年の間に引越しをして、建物は昨年よりは少しましになったのだが、ベッド不足は相変わらずで、 子供の数に対しベッドの数はぜんぜん足りていない。昨年はマオイスト(毛沢東主義派、共産革命を目指し政府軍との間でゲリラ戦を展開中) によって元の場所を追い出されたばかりだったので、物は何もない状態だったが、今年は生活するために最小限必要なものは揃っているという印象をもった。 引っ越した当時、トイレが非常に汚かったため、オーナーに改装をお願いしたが断られ、自らお金を出して修理したそうだ。

孤児院にてC

孤児院の前にて。現在は15人の子供たちがここで暮らしており、30歳前後の男女各1人を雇って子供たちの面倒を見ている。見てのとおり、全員が小学校の制服を着ており、全員が学校に 通っているとのこと。子供たちの顔ぶれを見ると、去年とはほとんど変わってしまっているが、元の親のところに戻ったり、親戚に引き取られたり、養子に迎えられたりしてそれぞれ円満に 暮らしているとの説明であった。実は、孤児院がこの場所に移ったのは昨年から2度の引越しによるもの。1回目の引越しでは、ほぼ新築の物件を最低3年は借りることになっていた のだが、オーナーの都合でわずか数ヶ月で明渡すこととなり、今の場所に移ったそうだ。この場所も背後に山が迫り風通しが悪く、ジメジメして子供たちが病気になり やすいので、もっと良い場所に引越したいとのこと。写真をクリックすると拡大します。

動物園へ

今回は、ただ孤児院を訪問するだけでなく、子供たちを町の動物園へ招待するプランを立てていた。ミシンを運んだ車に子供たちを乗せて、動物園に連れて行くプランだったのだが、 先方が用意した車が、ご覧のようなトラックだったため、トラックの荷台に子供を乗せていくことになってしまった。自分としてはワゴン車を用意しているものと思い込んでいたが、 やはり事前に言っておくべきだったと反省。子供たちが車に酔ってしまいはしないかと危惧したが、その危惧が帰り道に現実のものとなってしまう。

動物園にて@

パタン市内にある中央動物園へは車で40分ほど。入園料はネパール人は一人10ルピーなのに対し、外国人は100ルピーも取られる。総額で240ルピーを支払ったが、 そのうち100ルピーが私一人の入園料で、さらにカメラ持込料として10ルピー取られた。私はただ付き添いで来ただけなんですけど・・・

動物園にてA

動物園には、虎、サイ、カバ、鹿、ワニ、チンパンジーを始めとする猿、オウムや九官鳥などの鳥類、熱帯魚などが飼育されている。日本で人気のパンダやコアラはいなかった。 また、ライオンやシマウマ、ゴリラなどアフリカの動物もあまりいなかったように感じた。

動物園にてB

途中、お客を乗せた象と出会う。この直後、象が目の前で糞尿をもよおし、見物客の多くはその豪快さに笑っていたが、子供たちは皆凍りついたような表情だった。 あまりの量に驚いたのだろうか。

動物園にてC

動物園の中ほどにある広場で記念撮影。写真をクリックすると拡大します。

動物園にてD

昼食は、動物園の近くにあるフジベーカリーというパン屋で買ってきたパンをみんなに配った。このパン屋のオーナーは日本でパン作りを修行してきたそうで、 ネパールの物価を考えるとやや高めであったが、子供たちに味わってもらうことにした。私も食べたが、正直言って日本の下手なパンよりずーっとおいしい。 こんなおいしいパンをネパールで食べられるのは、私にとっても驚きだった。

動物園にてE

昼食後も動物見学は続く。トリヨタム氏によれば、たぶん全員が動物園は初めてだろうという。中には、見た動物の名前などをメモしている真面目な男の子もいた。

動物園にてF

動物園内には、ご覧のような乗り物もあり、トリヨタム氏のポケットマネーで全員を乗せてあげることになった。1周わずか50メートルほどのコース に1ヵ所だけ大人の背の高さほどのアップダウンがあるだけのシンプルな乗り物だったが子供たちは大喜びだった。このコースを2周して、一人10ルピー。

動物園にてG

カトマンズの街中には、日本の公園にあるようなブランコや滑り台は一切ないため、ここでも大喜び。こちら側が帰ろうと言い出さなければ、いつまでも遊んで いそうな勢いだった。この日は日差しがきつく、暑さと乗り物酔いのため帰路の車中で気分を悪くする子供が続出。さらに雇った運転手の運転にも繊細さがなく、途中で犬をはねるというアク シデントもあり、せっかくの遠足気分に水を差すこととなってしまった。最後は、疲れ果てた表情で孤児院へ帰っていく子供たちを見送ったが、良い思い出づくりができただろうか。

ストリートチルドレンとの出会い@

スージットの歯科医院にいたとき、向かいのレストランにストリートチルドレンが食べ物を求めて現れた。彼らとの接触は、前回からの希望であったのだが、ちょうどこの時期、 カトマンズで大きな祭りがあってそちらに行ってしまったらしく、帰国前夜になってようやく接触することができた。私の前の左端の黒いTシャツの少年が、ソナン・タマン(13歳)、 手前の白シャツがスリヤ・タマン(10歳)、真中の黄色のシャツがゴビンダ・ラマ(11歳)、右端がサヌ・キシ(12歳)。彼らのようなストリートチルドレンが、カトマンズ盆地 内に1,500人ほどいる。彼ら4人は、テンプ−(3輪の乗合タクシーのようなもの)の客引きをやって、運転手から1日40ルピー(約60円)を運転手から貰っているという。でも、 ストリートチルドレンの中に彼らの元締めのようなのがいて、うち20ルピーを巻き上げられてしまうそうだ。

ストリートチルドレンとの出会いA

スリヤは4人の中で一番のひょうきん者。彼に将来何になりたいかを尋ねたところ、即座に映画俳優と答え、我々の目の前で、カンフーアクションを交えながら側転、バク転、前方宙返り の連続技を披露した。写真は、宙返りを決めた瞬間。とにかくよく動き、よく喋り、よく笑う元気な少年だ。彼は、父親が酒浸りになり自分を殴るので家を出てきたそうだ。 でも、彼を見ているとストリートチルドレンであることの悲哀をみじんも感じさせない。写真をクリックすると拡大します。

ストリートチルドレンとの出会いB

翌日帰国することになっている私にできることといえば、飯を腹いっぱい食べさせてあげることぐらいしかない。ニランジャンらによれば、飯を食うようにと言って彼らにお金を渡すと、 食べ物ではなく、お酒やタバコ、シンナーなどを買ってしまうこともあるそうだ。なので彼らを近くの食堂に連れて行くことにした。1軒目のお店では入店を断られ、2軒目のお店で山盛りの 定食をごちそうした。

ストリートチルドレンとの出会いC

彼らに寝床を案内してくれと頼んだら、バス停近くの薄暗い一角へ連れて行ってくれた。布団や筵はおろか屋根すらない場所である。
4人のなかで一番シャイなゴビンダ(黄シャツの少年)は、カトマンズはおもしろい所だと聞き、シンドパルチョーク郡のカプレ村というところから、バスにつかまって出てきたのだが、 帰り方が分からなくなり、そのままストリートチルドレンになってしまったという。 故郷を離れてもう3年になるそうだ。シンドパルチョークといえば、私が初めてネパールを訪れたときに、5時間もバスに揺られてボランティアに出かけたところである。今は、マオイスト の根拠地になってしまっていると聞く。「村へ帰りたい。」と語る彼の表情はとても悲しげだった。そんなしんみりした空気が流れたとき、スリヤ が突然我々に向かって「タクシーでカトマンズの町へ行こうぜ。」と言い出し、再び皆の間で笑いがおこった。
この日は夜半近くににわか雨が降ったが、彼らは無事雨露をしのげただろうか。写真をクリックすると拡大します。

NGO旗揚げへ

ネパールを発つ前日の夜。ニランジャンやスージットたちがパーティーを開いてくれた。彼らは、ストリートチルドレンの健康と教育のための支援活動を始めるべくNGO設立の申請を行ったところだ。 まもなく認可が下りるという。どんな活動になるのか今から楽しみだ。とりあえず彼らの活動のために3,000ルピーを寄付した。そして彼らからは、私のこの5年間の活動に 対する手作りの感謝状を頂いた。

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