'04ネパール編

ネパール初訪問時は6人、2回目は4人、3回目は2人と同行者が減り続け、今回は1人での訪問となった。 出発前にいつも何か起きるネパール訪問だが、今回も1ヶ月前にイラクでネパール人十数名が殺害されたことでカトマンズで暴動が起き、外出禁止令が出されるなど、一時渡航が不安視された。 しかし、出発直前に状況が好転し、ネパールを発つ日にゼネストに巻き込まれた以外はスケジュールを順調にこなすことができた。
今回の活動は前回に続き、ネパール人による歯の無料治療(デンタルキャンプ)とのコラボレートと、日の出日本語学校の校長先生らが運営する孤児院の初訪問。 特に孤児院訪問では、マオイスト(毛沢東主義派:極左共産主義者のグループで、政府との間で武装闘争を展開中)の力が首都近郊にまで及び、弱者がさらに厳しい状況に追い込まれている現状を目の当たりにした。

○日   程:2004年9月24日〜9月28日
○主な活動先:@ラリトプル郡ムルパニ村、Aシェリー・ディセイブルド・ヘルプレス・サービス・アソシエイションが運営する孤児院訪問など


ピープルチョール小学校にて@

今回訪問した小学校は、カトマンズの市街地から6〜7キロほどのところにあるピープルチョール小学校という生徒数わずか20数名の公立小学校。 本当は、もう少し奥地の学校へ行きたかったのだが、マオイストの影響力が首都近郊まで及んでおり、安全上の問題や、仮に物資を届けたとしてもマオイストに没収されてしまう恐れもあり、そのような状況下でニランジャンが探し出してくれたこの学校に行くこととした。

ピープルチョール小学校にてA

友人のスージットは、歯科医院を開業しており、ニランジャンらとともに仕事の傍ら、定期的に歯の無料治療プログラム(デンタルキャンプ)を開催している。 今回も、前回の訪問と同様デンタルキャンプとの合同プログラムを実施した。

ピープルチョール小学校にてB

デンタルキャンプには、スージットの歯科医院で一緒に仕事をしている女性の歯科医も参加してくれた。 2人で学校の子供たちや村人らおよそ40名程を診察し、必要な場合は抜歯などの処置をする。最後に全員に歯みがきをプレゼントし、歯のブラッシングを指導した。

ピープルチョール小学校にてC

次に、日本から運んできた物資を配布する。配布したのは、鉛筆、ボールペン、ノート、下敷き、手提げ、タオルなど、多くの方々から寄付していただいた物。

ピープルチョール小学校にてD

今回、生徒数20数人という小さな学校を選んだのは、ネパール訪問が単独行になったため、持参可能な物資が手荷物預かりと機内持込で私物も合わせて30キロ(実際にはもう少し持っていったが)に限られるためでもある。 今回の渡航ではタイ航空を利用したが、前回のロイヤルネパール航空とは違い、超過荷物にかなり厳格で、実は名古屋空港で手荷物の超過料金をとられた。堅いこと言うなよな、まったく・・・

ピープルチョール小学校にてE

みんなで記念撮影。写真をクリックすると拡大します。

ピープルチョール小学校にてF

制服(青いシャツ)を着ていない子供は、実は学校に通っていない子供たち。彼らにも学校に通っている子供たちとほぼ同じものをプレゼントした。

ハプニング

学校へ向かう途中、急な坂道を下った際、「雨が降るとこの坂道は登れないよな。」などど話していたのだが、その帰り道、雨は降っていなかったのだが登れなくなってしまった。 最初は、坂道の下から勢いをつけて何度も登ってみたが、どうしても途中でスリップしてしまい空転するタイヤから煙があがる始末で断念。 次に写真のようにみんなで押してみたが、それでもダメ。さらには麻袋をもらってきて、駆動輪の下に噛ましてみたがやはりダメ。 結局、タイヤの下にやはり近所の農家からもらってきた籾殻を撒き、ロープで引っ張りあげてようやく脱出できた。この間1時間を費やした。

小学校とカトマンズ市街遠望

手前中央の白い、小さな小屋のような建物が小学校。後方にカトマンズやパタンの市街地、さらにはカトマンズ盆地を取り囲む山々が見える。

孤児院@

SHREE DISABLED HELPLESS SERVICE ASSOCIATIONが運営している孤児院を訪問。この団体の会計責任者を、日の出日本語学校のトリヨタム校長先生が務めており、その縁で訪問した。実はこの孤児院、3ヶ月程前まで別の場所にあった。

孤児院A

この孤児院には、日本から持参したタオル、古着、靴、帽子、カバン、石鹸、歯磨き、鉛筆、色鉛筆、マジック、ノートなどを届けた。写真右側がこの施設の代表者、左側がトリヨタム先生。この2人によって運営されている。

孤児院B

その他、日本でカンパしていただいたお金の一部に自分のお金もプラスして、約21,000円を寄付した。

孤児院C

おもちゃも少しですがプレゼントしました。

孤児院D

この孤児院、前はカトマンズの街を見下ろす山の上に自前の施設を持ち、同時に村の人々に職業訓練を施すなど安定した経営を行っていたが、3ヶ月ほど前、マオイスト(毛沢東主義派:前述)が突然やってきて、 50万ルピー(約80万円)を払うか立ち退くかを求められたという。結局50万ルピーという大金を払うわけにもいかず、今の場所に移ってきた。 ところが、苦難はそれだけにとどまらず、後日トラックで備品を取りに行ったところ、鍵がこじ開けられて机、いす、ベッドや職業訓練用のミシンはもとより、ノート、鉛筆やサッカーボールまで何もかも盗まれてしまっていたという。

孤児院E

今の施設は民家を1軒借り上げたもの。従って毎月の賃料はもちろん、賄いのおばさんを一人雇っているので、経済的にはその支払いで精一杯の状態。内部には、ベッドはあるものの人数分はなく、一部の子供は2人で1つのベッドに寝ている。 以前のように、ミシンを買って村人たちに職業訓練を施し、作ったものを街で売って経済的自立を果たしたいと代表者は語ったが、道のりは遠いと言わざるを得ない。 誰かーこの施設をサポートしてくれませんかぁ・・・

孤児院F

子供は4歳から9歳までの総勢10名。いずれも、親が亡くなったり、親がアル中などで子育てを放棄したためやってきた子供ばかり。障害のある子供も1人いる。 うち2名は今、子供のいないお金持ちの家に養子縁組が可能かどうかをテストするため行っているという。 結局その養子縁組はうまくいかず、孤児院に戻ってきたという話を後日聞いた。日本のテレビドラマの影響ではないと思うが「オシン」という名前の女の子がいた。写真をクリックすると拡大します。

お世話になった方々@

前回に続いて、ウッタム宅で夕食をご馳走になった。前回はまだハイハイがやっとだったウッタムの甥っ子も大きくなり、元気に駆け回っていた。

お世話になった方々A

これも前回に続いてのタラ宅の訪問。前回は生まれていなかったタラの子供とタラの弟の子供が、家の中を明るく賑やかにしていた。

まるでぬいぐるみのような・・・

これまた前回に続いてのスージット宅の訪問。生まれて2ヶ月の子犬が本当に可愛いらしく、思わずシャッターを切った。

お世話になった方々B

スージットには、デンタルキャンプへの支援として、日本でカンパしていただいたお金の一部に自分のお金をプラスして、約15,000円を贈呈した。

お世話になった方々C

トリヨタム先生宅を訪問するのは初訪問時以来4年ぶり。でもそのときは、庭でのパーティーだったので家の中に上がったのは初めて。日本語学校の先生たちと一杯酌み交わす。

お世話になった方々D

何よりお世話になったのが二ランジャン。今回は一人だったこともありホテルを使わず、4日間ニランジャン宅に泊めていただいた。 また、私がネパールにいる間、仕事を休んでボランティアにも祭り見学にもずーっと付き合ってくれた。本当にありがとう。

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