'03ネパール編

前回は9.11テロ、前々回は東海豪雨と、出発直前にいつも何か起きるネパール訪問。3度目の今回は中国や東南アジアでサーズが流行する真っ只中での訪問となった。 訪問したのは私も含め2名。今回は、ネパール側のスージットらが主宰している、歯の無料治療(デンタルキャンプ)とのコラボレートや、地元NGOプロモートネパールが運営する無料日本語教室の訪問がメイン。 過去2回はうまくゼネストをすり抜けてきたが、今回とうとう、それも2日間も巻き込まれ、スケジュールの全面変更を強いられる。

○日   程:2003年4月27日〜5月3日
○主な活動先:@ラリトプル郡レレ村、Aプロモートネパールの日本学校訪問など


日の出日本語学校にて

毎度お馴染み、日の出日本語学校の訪問。今回は、ブックオフで購入した雑誌や子供向けの本を届ける。この日はゼネストだったため、授業はなく、先生たちだけが集まってくれた。

ゼネストの街

ゼネストにより、普段は車が行き交う中心街もこのとおり。公共交通機関が止まるだけでなく、タクシーや自家用車までもが、走行を禁止され、商店もすべてシャッターが下ろされる。 もしこれに逆らうと、デモの活動家から投石されたりするそうだ。街の要所要所には、防具を付けた警官隊が配置されていたが、あまり緊張感は感じられず、市民と談笑している様子も見られた。 この日は仕方なくスケジュールをキャンセルし、自転車を借りて市内を動き回ることに。ゼネストは翌日も続いた。

プロモートネパール・・・@

日の出日本語学校のトリヨタム校長先生らがボランティアで教えている、日本語教室に案内してもらう。この教室は、地元のNGO「プロモートネパール」によって運営されており、 孤児院などのほか、貧しい人のために様々な職業訓練も行っているとのこと。 日本語学校もその一つ。この教室の生徒は結構高齢の方ばかりだったが、その学ぼうとする意欲には脱帽。時間に余裕がなく、孤児院に行けなかったのが残念。

プロモートネパール・・・A


早速、飛び入り授業が始まる。

プロモートネパール・・・B


こちらもプロモートネパールによる日本語教室。こちらの生徒は、若者ばかり。

レレ村への道

今回のメインプログラム。スージット、ニランジャンらの歯の治療ボランティアとの合同プログラムを実施するため、レレ村に向かう。 距離的には、カトマンズから15kmぐらいだが、村は、小山の上にあり、車で行けるのはふもとまで。 我々がふもとまで到着するや否や、村の若者が猛ダッシュで駆け下りて来て、物資を担ぎ上げてくれた。

レレ村にて・・・@

まずは、歯の治療プログラム(デンタルキャンプ)から始める。デンタルキャンプは彼ら自身が年に数回行っているボランティア活動だが、 今回は我々がプレゼントを持ってきたことで、児童の集まりがよく、満足な活動ができたようだ。 電気がない中での治療は大変そうだったが、器具は煮沸処理をし、ゴム手袋も一人ずつ交換するなど、衛生面には気を遣っている。 電源がない関係で、歯を削ることができないので、ある程度進んだ虫歯は抜かざるを得ない。

レレ村にて・・・A

続いて、日本から持ってきた物資を配布する。 この小学校(ギャンクンジャ小学校)では、通常の授業終了後に、大人のための読み書き教室を行っているそうで、それに通っている村人たちにも配布する。

レレ村にて・・・B

児童たちには、ノート、鉛筆、ボールペン、カバンを配布する。 児童の数は、日本にいるときからメールで確認いていたのだが、いざ現地に行ってみると、小学校入学前の幼児も何か貰おうと、先生も黙認のもと列に並んでいたようで数が合わずやりくりに苦労した。

レレ村にて・・・C

この小学校にはトイレがないことを知り、そのことをとある方にお知らせしたところ、10万円を寄付したいとの申し出があり、トイレ建設資金として贈呈する。トイレは二ランジャンの親戚が経営する工務店が建築する。 我々にとってトイレは当たり前だが、この村の人たちはトイレの習慣がなく、児童がトイレを使えば衛生面での啓蒙活動にもなるそうだ。

レレ村にて・・・D


みんなそろって記念撮影。写真をクリックすると大きくなります。

レレ村にて・・・E


配布したカバンを持って記念撮影。この村の子供たちもカメラを向けると固まってしまいます。

レレ村にて・・・F

校舎は、漆喰も施されていない石と土が剥き出しの壁とトタン屋根でできた粗末なもの。台風でも来れば倒壊しそう。。手前の空き地にトイレを建設する予定。

建設中のトイレ

寄付により建設中のトイレ。この写真は、後日、メールで送ってもらったもの。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・@

ゼネストのため何もやることがないので、自転車でタラの家へ向かう。 自転車でカトマンズ盆地を走り回ると、改めてうねうねとした坂道が多いことに気付かされた。タラの家では昼間にもかかわらずお酒をたくさん頂いてしまい、帰り道、自転車をこぐのが大変だった。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・A

これも毎度となったニランジャン宅訪問&宴会。楽しい一時とともに、今後のスケジュールやトイレ建設等について打ち合わせもした。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・B

スージット宅にて。スージットの家はパタンのダルバール広場(マッラ王朝時代の王宮前広場)の一角にあり、代々ダルバール広場の維持管理を任されてきた家系だそうである。 そのことに対する報酬は特にないそうだが、国王がこの広場を訪れたときに出迎えた模様を撮った写真を見せてもらうなど、スージットのお父さん(後列左から2人目)はそのことを誇りに思っている様子だった。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・C

ウッタム宅にて。ウッタムのお父さん(後列中央)は、ネパールの伝統的な飾り窓や仏像などを彫ったりする彫刻の名人。

Sunrise Nepal紙

今回の活動は地元英字紙のサンライズネパール紙で取り上げられ記事になった。この手の活動はネパールでは珍しいことではないが、記者にニランジャンの知り合いがいたため記事にしてもらえることとなった。 写真をクリックすると大きくなります。

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