'00ネパール編

2000年8月、ロシア、ミャンマーに続く新たな活動先を探していたところ、タイミング良くネパールの貧しい村や施設などを中心に援助活動を行っている”ANRI FOUNDATION”が、 名古屋NGOセンターの会報上でスタディーツアーの参加者を募集しているのを発見、参加を即断した。これが翌年以降へと続く最初のネパール訪問となる。
出発直前に東海豪雨があったため、急遽参加予定者のキャンセルが出たり、自分自身も睡眠不足で疲れが溜まったままでの出発となり、現地で体調を一時崩しかけたが、途中から回復し、ハードスケジュールを無事こなすことができた。

○日   程:2000年9月14日〜24日
○主な活動先:@シンドパルチョーク郡、チョウタラ村、シャウレ村・ Aパシュパティナートの老人ホーム


老人ホーム

最初の訪問先は、カトマンズの空港近く、パシュパティナートにある故マザーテレサ修道院が運営する老人ホーム。マザーテレサが始めた老人ホームでは、インドのコルカタにあるものが有名だが、ここはそのネパール版とのこと。 修道女やボランティアによって運営されている。タオルを配布したのだが全員に行き渡らず、後味の悪い思いが残った。

ネパール料理

ネパール側メンバーの一人、オニル君から昼食の招待を受ける。メニューは、ネパール料理の定番、ダルバート。以後、連日この料理を口にすることになる。

シンドパルチョークへの道

今回の活動のメンバーは日本から6名、ネパールから5名の計11名。荷物は、日本で集めたものをネパールの首都カトマンズまでは機内預かり荷物として20`×6名=120`を我々の手で、カトマンズからは車をチャーターして双方協力して運ぶ。 途中までは、中国国境へ通じるハイウェイ(といっても日本の高速道路とはぜんぜん違う)を走るので比較的快適であったが、途中からは、未舗装で車が何とか通れるほどの悪路が続いた。 カトマンズ空港で受け取るはずの荷物が届かず、2日間足止めを食らった末のシンドパルチョーク入りだった。

シャウレ村への道

シンドパルチョーク郡のチョウタラ村から目的地のシャウレ村の小学校までは徒歩で3時間。荷物は、地元民をポーターとして雇い、運んでもらう。彼らにとっては貴重な現金収入の機会だったと思われる。

シャウレ村@

小学校では、日本人が来るということで小学生だけでなく村人のほとんどが集まっており、校庭は人でいっぱいになっていた。

シャウレ村A

まずは歓迎のイベントとして、児童による演奏と踊りが始まる。我々に対する歓迎イベントなので、本来なら我々が正面で見せてもらうところだろうが、 前述のとおり正面の校庭は人で一杯のため、半ば追いやられた形で両サイドから見させていただくことに。そのことについてはネパール人は誰も特に気にしていない様子だった。

シャウレ村B

一通りの挨拶が済んだあと、日本から持ってきた鉛筆、消しゴム、ノート、定規、古着などを配布する。

シャウレ村C

プレゼントといっても何でも良いわけではなく、本当に役立つものを届けることが重要。受け取る側の自尊心や、自立心を損なわないような配慮も必要。

大雨

帰りは土砂降りの中、歩くことに。山中で日没となり、今思っても結構ヤバかった。付近は熊などの野生動物のほか、極左ゲリラも時折現れる地域とか。。 メンバーには70代の方もおり、危機管理の面からは甘いと言わざるを得ないのでは。まあ、みんな無事だったからよかったけど。

試食

チョウタラは、ネパール人メンバーの一人スドールソンの出身地。我々はその実家近くに建築中の家に泊めていただいた。シャワーもなく大部屋に雑魚寝という状態だったが、食事などはスドールソンの親戚の方々がお世話してくれた。 写真はそのお礼に我々が日本から持ち込んだ食材でおにぎりと稲荷寿司を作り試食をしてもらったところ。ネパール人にとって甘い食べ物はお菓子と感じるらしく、稲荷寿司をおいしいお菓子だと言っていた。

チョウタラ村@

次に訪れたのは、チョウタラの私立小学校。校門脇に交番があり、ライフルを持った警察官が威圧するように座っていたのが印象的。私立学校に通えるのはお金持ちということなので、極左ゲリラの妨害などを警戒してのことと思われる。 そうは言っても学校の作りはいたって簡素で、机やいすなどは結構ボロボロだった。ここでも文房具を配布した。

チョウタラ村A

ここでも同様に、鉛筆等の文房具を配布した。

チョウタラ村B

チョウタラで最後に訪れた公立の小学校。カメラを向けるとVサインどころかみんな固まってしまう。ここでも文房具を配布。

チョウタラ村C

小学校の外観。遊具などは全くない。

ホームステイ

カトマンズの隣町、パタンに住むアマタ家で1日ホームステイ。心のこもったおもてなしを受けた。写真は屋上で家族、友人揃っての1枚。 前列左側の二ランジャンは日本語を学んだ経験があり、彼とのコミュニケーションは専ら日本語。ニランジャンとの交流は、以後も続くこととなる。

パーティー@

最終日は日の出日本語学院でのパーティー。モモ(ネパール風餃子)やお菓子を一緒に作りながらコミュニケーションを深める。

パーティーA

パーティーの一コマ。

パーティーB

最後は、みんな揃って記念撮影。

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